おはようございます、ゆまコロです。
金城一紀『GO』を読みました。
この本は、朝鮮籍から韓国籍を経て日本に帰化した作者の、半自伝の形をとっています。
在日韓国人の主人公・杉原が、父親にボクシングを習い、ケンカに明け暮れる日々の中で、桜井という女性に出会うお話です。
なんとも、もやもや気持ちになった文章がこちらです。
韓国には行ける。でも、北朝鮮には行けない。何がそうさせるのだ?もとを糺(ただ)せば、韓国だって北朝鮮だって、ただの陸地じゃないか。何が行けなくしているのだ?深い海か?高い山か?広い空か?人間だ。クソみたいな連中が大地の上に居座り、縄張りを主張して僕を弾き飛ばし、叔父と会えなくしたのだ。信じられるかい?テクノロジー全盛でこれだけ世界が狭くなっている時代に、たった数時間の場所に行けないことを。僕は北朝鮮の大地に居座って、えばり腐ってる連中を許さないだろう。絶対に。
日本の普通高校に通いながら、周囲に虐げられ、自分は何者なのか分からないまま、暴力に明け暮れる主人公を見ていると、理解することは難しいのかもしれないけど、その苦しみは痛いほど伝わってきます。
杉原くんが唯一尊敬できる友人を失った時の描写も辛いです。
物語に出てくる次の言葉が、とても印象的です。
No soy coreano, ni soy japones, yo soy desarraigado.
(ノ・ソイ・コレアーノ、ニ・ソイ・ハポネス、ジョ・ソイ・デサライガード)
もし、杉原くんと似た境遇の人に出会った時、自分は何を思うだろう、彼(彼女)が困っているとして、何かできることがあるだろうか、と、読んだ後しばらく考えました。
最後まで読んで下さってありがとうございました。