ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

志摩園子『物語 バルト三国の歴史 エストニア・ラトヴィア・リトアニア』

おはようございます、ゆまコロです。

 

志摩園子『物語 バルト三国の歴史  エストニア・ラトヴィア・リトアニア』を読みました。

 

私がバルト三国に興味を持ったのは、第二次世界大戦中に、日本を経由してアメリカへ逃亡するユダヤ人に日本通過ビザを発行した杉原千畝さんについて書かれた本を読んだことがきっかけです。

 

主要な地名がその場所の言語とドイツ語やロシア語で異なっているものもあり、読んでいて少し混乱してきます。

 

バルト三国は3国とも1918年に独立をしたものの、そろってソ連に併合されます。(1940年)その後再びそれぞれ独立を果たします。(1991年)

このことは、筆者の志摩園子さんもこの地域に関心をもったきっかけとして書かれています。しかし、バルト海東南岸地域の研究者である筆者も、

 

 

1988年の段階では、独立の回復は夢物語のようなものに思われた。(p247)

 

 

と記しています。

 

この三国の歴史で興味深く感じたのは、最初の独立のあたり、「バルト」の構想がヨーロッパで起こり始めた頃です。

 

 

(前略)バルト海東南岸に成立したこれら三国は「バルト(バルチック)」という一つの単位として記されている。三国は、西欧列強から事実上の国家独立の承認は引き出したものの、法的な承認を得るのに時間を要した。というのも、これまで西欧列強はバルト海東南岸地域の認識に乏しく、イギリス外務省でさえ状況を十分に把握していなかった。連合国はバルト三国の国家としての存続に懐疑的で、依然としてロシア問題の一部として対応しようとしていた。ところが、ソヴィエト・ロシアが三国を承認したことから、これ以上承認を躊躇することは利益を損なうと判断し、承認に踏み切ったのである。ソヴィエト・ロシアから最初に法的な国家承認を引き出す要因の一つとなったのは、バルト海東南岸地域での地域協力という試みであった。「バルト」を含む地域協力の構想は、すでに革命後の国家構想の中でエストニアやラトヴィアから、スカンディナヴィア=バルト・ブロック構想やバルト連盟構想として現れてきた。(p170)

 

 

3つの国がひとくくりにされることが多いので、これまでなんとなく似た境遇の国々なのかな、と思っていました。

 

ですが、この本を読んで、それぞれ言語も違えば、仲の良い国も違い、辿ってきた道は異なっていたことが分かりました。

 

2004年にバルト三国はEUに加盟します。「EU加盟は彼らにとってヨーロッパの一員であることの証拠なのである。(p247)」とあり、今後これらの国がどんな行動をしていくのか、私も志摩先生のように興味を持ちました。

 

 最後まで読んで下さってありがとうございました。

物語 バルト三国の歴史―エストニア・ラトヴィア・リトアニア (中公新書)

物語 バルト三国の歴史―エストニア・ラトヴィア・リトアニア (中公新書)