おはようございます、ゆまコロです。
元浄土真宗僧侶の小池龍之介さんと、評論家の宮崎哲弥さんの対談集です。
この本で印象的なのは、人とつながっている状態についてのお二人のお話です。
●「(宮崎)私は人類最後の一人になっても、本と食い物があればそこそこ楽しく生きていけるという自負を持っている人非人なので(笑)、別に生きた他者とリアルタイムでつながっていなくても平気なんです。もっといえば、親であれ、妻であれ、親友であれ、教師であれ、生の人間から根本的な影響を受けたという経験がない。余談ついでにいうと、自分を取り巻く環境の変化にもほとんど影響を受けないのです。だから旅行は嫌いなんですよね。そこから得るものがあまりに少ないから。
四六時中他人とつながっていないと不安になる、というのはどういう心の仕組みに基づいているのでしょうね。
(小池)それは、渇愛、つまりドーパミンの禁断症状に陥っていて、「つながる快楽」を得て、その快楽が消えた後には、前よりもさらに強烈な不安やさみしさが来る、という構造によるんです。神経レベルでは、落ち着きや覚醒の神経が鈍くなって、快と苦の興奮の神経ばかりが活発になり、実はイライラしてるということ。ひたすらつながっているせいで、かえってつながれなさ、全然伝わってなさが顕在化しているような気がしますね。
(宮崎)本当にそうなのかな。だったらやめればいいのに。だって、人に読んでもらうほど、日々の生活って面白くないですよ(笑)。」
この、“他人の生活は「面白くない」” という意見があることは、よく覚えておこうと思いました。
それと、お見合いについての話も気になりました。
●「(宮崎)お見合い結婚は最初にまず断念が来る。これが良い。この断念というのは諦めじゃありません。人生のベストコースを選び取ろうとする意思を断念するのです。あらかじめ、どの道がベストコースなのかまったくわからないし、決まってもいない。そうではなくて、選んだ道を最良のものとすることが結婚なんだと思い定める。そう思い切れば、自分の身の丈にあった、誠実な相手ならばいい。条件で選り好みするなんてバカバカしいという結論に辿りつくはず。」
さみしいという感情を、客観的に見ることは、寂しい状態から脱するのに有効かもしれないと思いました。
最後まで読んで下さってありがとうございました。