ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

司馬遼太郎『坂の上の雲(四)』

おはようございます、ゆまコロです。

 

司馬遼太郎坂の上の雲(四)』を読みました。

 

この巻で印象的なのは、仙台藩士・高橋是清の幼少の頃のお話のです。

 

高橋是清はふしぎなほどの楽天家であったが、その生い立ちは尋常ではない。かれは仙台藩の江戸詰めの足軽高橋覚治の家にもらわれてきた子で、その実際の父母については成長するまで知らなかった。その実父は幕府の御同朋頭(ごどうぼうがしら)支配絵師川村庄右衛門で、実母は川村家に奉公にあがっていた芝白金(しばしろがね)の魚屋の娘きんという者であった。うまれるとすぐ高橋家にもらわれ、そこで成人した。

 

 幼童のころ、仙台藩中屋敷のそばにある稲荷の境内であそんでいたところ、ぐう然、藩公の奥方の参詣があった。この幼童は人見知りしないたちで、拝殿の板敷の上にいる奥方のそばに寄り、そのひざにあがってしまったという。封建身分社会ではありうべからざる珍事であった。が、この幼童がニコニコ笑っているため侍女たちもとがめるわけにゆかず、そのうち奥方がひどくこの子が気に入って、あす御殿にあそびに来い、といってくれた。

 

 これが、足軽長屋のひとびとの評判になり、

「高橋の家の子はなんとしあわせ者だろう」

ということを言いさざめいた。このことばが幼童であった高橋の耳にも入り、自分はひとよりもとびぬけてしあわせ者で運のいいうまれなのだと思いこむようになり、それが生涯の信仰のようになって、

「いまになって思えば、それが私を生来の楽天家たらしめたる原因じゃないかと思う」

と、その自伝で語っている。

「どんな失敗をしても、窮地に陥っても、自分にはいつかよい運が転換して来るものだと一心になって努力した」(自伝)

とおもっているような楽天家の男でなければ、日露戦争の戦費まかないでヨーロッパをかけまわるようなことはできなかったであろう。げんに高橋以外の金策方の連中は最初からなかば絶望して欧米にわたり、ほとんどが失敗した。

 

 高橋は、幕府瓦解寸前の慶応三年、藩の留学生として渡米した。

 横浜に商館をもっていたヴァンリードという男のつてで、その男の両親のいるサンフランシスコへゆき、ヴァンリード家に住みこんだ。ほどなくヴァンリードの紹介でオークランドのブラウンという家に住みかえた。その間、奴隷として売られていたことを、高橋は知らなかった。やがてそれがわかって騒ぎがあるのだが、高橋という男のおかしさは、そういう自分の過去についてすこしも悲愴がったりはしないことで、ただ深井英五が世界における人種問題の深刻さを話題に出したとき、

「わしには、それはわかるなあ」

と、ニコニコ笑っていたというのである。」(p172)

 

御殿にあそびにおいでと言われるところが、なんだか落語の世界のようで面白いなと思いました。

この後、ロシアに対抗してほしい国々が日本を援助してくれる様子も興味深かったです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

新装版 坂の上の雲 (4) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (4) (文春文庫)