おはようございます、ゆまコロです。
先日ルーベンス展に行き、映像でこの話の最後に出てくるルーベンスの絵を見て気になったからです。
舞台はベルギーのアントワープですが、作者はイギリスの女性です。
彼女が犬好き、美術好きなのが、物語を通してよく伝わってきます。
この話が書かれたのは1872年とのことでした。日本では、岩倉使節団がリバプール(イギリス)に到着した頃です。
私はこれまで主人公がパトラッシュと一緒に亡くなる場面しか知らず、なぜ、ルーベンスの絵を見たがっていたのか、ようやく事情が分かりました。
「月日がたったおかげで、ネロはつよい若者になりましたが、パトラッシュは年寄りになっていたからです。関節はこわばり、ともすれば骨もいたみました。
けれども、パトラッシュはけっして仕事をやすみませんでした。ネロはパトラッシュをやすませて、自分で荷車をひこうと思うのですが、犬はどうしてもゆずりません。ただ、こおりついた道のわだちを苦労してすすむとき、うしろからネロが押すのだけはみとめて、手伝いをうけいれました。パトラッシュにとって引き具をつけるのは生きることであり、それが誇りだったのです。霜や、がちがちになった道になやまされ、足はリューマチの痛みに苦しみましたが、ただ息づかいをあらくし、じょうぶな首をまげながら、もくもくとたゆまず歩きつづけました。
「家でやすんでいればいいんだよ、パトラッシュ。もう、引退していい年だ。ぼくはひとりで荷車をひけるさ。」
朝になると、ネロは何度もそういいました。パトラッシュはネロのいうことがわかっていましたが、攻撃のどよめきがきこえるとたたかおうとする老兵のように、家にいようとはしませんでした。毎日、起きあがるとかじ棒のあいだに立ち、ながいながい年月、足あとをつけてきた雪の野原を、一歩ずつ歩いていきました。
「死ぬまでやすんではならないんだ」と、パトラッシュは思いました。
ときおり、やすむときが、あまりとおくないような気もしました。むかしより目はかすみ、朝、起きあがるのがつらくなりました。でも、教会の鐘が五時を告げ、夜明けの仕事がはじまるとわかると、わらの寝床に寝ていられませんでした。」p74
けなげすぎる…。そしてお腹をすかせた描写が多いので、ネロとパトラッシュとおじいさんを家に呼んで、お腹いっぱい食べさせてあげたい、と思いました。
電車の中で読んでいると、うっかり涙がこぼれそうで何度か本を閉じました。
(ドライアイの方が読むといいかもしれません。)
佐竹美保さんの絵が好きなので、挿絵も素敵でした。
同時収録の「ウルビーノの子ども」と「黒い絵の具」も良かったです。
最後まで読んで下さってありがとうございました。