おはようございます、ゆまコロです。
上野千鶴子『おひとりさまの老後』を読みました。
印象的だったのは、上野先生のお父様のお話です。
「わたしの父は医者で、自分が治療の手だてのない末期がんの患者であることを知っていたが、死の床で動揺をくりかえし、ちっとも死の準備なんかできていなかった。それがふつうの人間だろう。父の介護に際して、友人、知人の介護経験をさんざん聞いたが、りっぱな人間のりっぱな死に方は、いくら聞いてもなんの参考にもならなかった。「そんなひともいるでしょうね」という感じだ。万人がそのような毅然とした死を迎えるわけではない。わたしは父の動揺につきあいながら、こうやって死にゆくひとに翻弄されることが家族の役目かもしれない、と覚悟を決めた。」
がんになったら、自分の死期が把握できることもあるから、だんだんと死を受け入れられるんじゃないか、と考えていましたが、そんな楽観的な予測はしないほうが良いのかもしれませんね…。
インパクト大な発言の多い社会学者の上野先生ですが、ご自身の体験から思想や主張が生まれたのだと思うと、興味深いです。
本書で提唱されている「おひとりさまの死に方5か条」は、覚えておこうと思いました。
「その1 死んだら時間を置かずに発見されるように、密でマメなコンタクトをとる人間関係をつくっておくこと。
その2 遺したら残されたひとが困るようなものは早めに処分しておくこと。
その3 遺体・遺骨の処理については、残された人が困らない程度に、希望を伝えておくこと。
その4 葬式とお墓についても、残されたひとが困らない程度に、自分の希望を伝えておくこと。「おまかせします」といわれても困るが、逆にあまりにオリジナルだったりふつうでなかったりして、それを実行するひとが困惑するような希望は遺さないこと。あくまで他人がやってくれることと知るべし。
その5 以上の始末が最後までとり行える程度の費用は、謝礼とともに用意しておくこと。ひとが動く費用はタダとは考えないこと。」
生きてることに感謝したくなります。
最後まで読んで下さってありがとうございました。