ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

V.E.フランクル『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』

おはようございます、ゆまコロです。V.E.フランクル、霜山徳爾(訳)『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』を読みました。

 

このタイトルの「夜と霧」とは、1941.12.6に出されたヒットラーの特別命令、「夜と霧」命令によるものなのだそうです。この命令は、夜間、秘密裡に非ドイツ国民で、占領軍に対する犯罪容疑者を捕縛して強制収容所に送り、その安否、居住を家族親戚にも知らせないとするものでした。

 

作者はオーストリア精神科医で心理学者です。

三十七歳の時に、強制収容所に入れられます。

 

ポーランドの町アウシュヴィッツは、今では名前がよく知られていますが、こんな場所だったそうです。

 

・平らな盆地の底にあり、澱んだ池に取り巻かれ湿気が多く悪臭に充ち、疫病をかもすのに絶好。

・霧の多い泥炭地であったため、周囲に人が住んでいなかった。

 

この立地条件だけでも、なんだか暗い気持ちになりますが…。

 

「収容所が存続していた間には、二十六カ国の国籍の異なる囚人がここに収容されたが、収容所が完全と言ってよい程虐殺に用いられるようになるにつれて、その大半はユダヤ人となった。彼らは殆んどと言ってよい程、何の罪も犯していなかった。ただポーランド人であり、ユダヤ人であり、ジプシーであり、ロシア人戦争捕虜であるというだけの理由によってであった。」

 

どこを引用すべきか迷いますが、救いがありそうかな、と思われたのはここです。

 

「「なあ君、もしわれわれの女房が今われわれを見たとしたら!多分彼女の収容所はもっといいだろう。彼女が今われわれの状態を少しも知らないといいんだが。」

 すると私の前には私の妻の面影が立ったのであった。そしてそれから、われわれが何キロメートルも雪の中をわたったり、凍った場所を滑ったり、何度も互いに支えあったり、転んだり、ひっくり返ったりしながら、よろめき進んでいる間、もはや何の言葉も語られなかった。しかしわれわれはその時各々が、その妻のことを考えているのを知っていた。時々私は空を見上げた。そこでは星の光が薄れて暗い雲の後から朝焼けが始まっていた。そして私の精神は、それが以前の正常な生活では決して知らなかった驚くべき生き生きとした想像の中でつくり上げた面影によって満たされていたのである。私は妻と語った。私は彼女が答えるのを聞き、彼女が微笑するのを見る。私は彼女の励まし勇気づける眼差しを見る―そしてたとえそこにいなくてもー彼女の眼差しは、今や昇りつつある太陽よりももっと私を照らすのであった。その時私の身をふるわし私を貫いた考えは、多くの思想家が叡智の極みとしてその生涯から生み出し、多くの詩人がそれについて歌ったあの真理を、生れて始めてつくづくと味わったということであった。すなわち愛は結局人間の実在が高く翔り得る最後のものであり、最高のものであるという真理である。私は今や、人間の詩と思想とそして―信仰とが表現すべき究極の極みであるものの意味を把握したのであった。愛による、そして愛の中の被造物の救い―これである。たとえもはやこの地上に何も残っていなくても、人間はー瞬間でもあれー愛する人間の像に心の底深く身を捧げることによって浄福になり得るのだということが私に判ったのである。」

 

状況の苛酷さと苦しみに、なかなかページが進みませんでしたが、よくこの体験を本にしてくださった、という気持ちになります。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録