ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

オルガ・トカルチュク『昼の家、夜の家』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

オルガ・トカルチュク、小椋彩(訳)『昼の家、夜の家』を読みました。

 

 ノヴァ・ルダの協同組合銀行に勤めるクリシャは夢を見た。一九六九年の早春のことだった。

 夢のなかで彼女は、左耳に声を聞いた。はじめは女性の声で、それが休みなく話しつづけている。クリシャにはなんのことかわからなかった。彼女は心配になった。「いつも耳もとでだれかがごちゃごちゃおしゃべりしてたら、仕事なんてできないわ」声は消せると、夢のなかで彼女は考えた。ラジオのスイッチを切るとか、受話器を置くとかするみたいに。ところが、消せなかった。声の出処は耳のずっと深いところ、ちいさな太鼓と螺旋がつまった、曲がりくねった回廊のなか、湿った膜でできた迷路のあいだ、暗い洞穴の奥まった部分にあるようだった。指で耳に栓をしても、手でふさいでも無駄だった。クリシャは、世界中がこの騒音を聞かなくてはいけないような気がした。もっとも、実際にそうかもしれなかった。全世界がこの声にぶんぶん共鳴していた。絶えず聞こえているのは、ある文章のくり返しだった。それは文法的には完璧で、音の響きも美しかった。でも、人間の話し方を真似ているだけで、意味を成してはいなかった。クリシャは怖かった。ところがしばらくして、クリシャの耳にべつの声が聞こえてきた。感じがよくて明瞭な、男性の声だった。彼と話をするのは楽しかった。「ぼくの名前はアモスです」声の主は言った。彼はクリシャに、仕事のことや両親の健康状態について尋ねたが、彼にとってそんなのはそもそも(と彼女には思われた)、聞くにはおよばないことだった。だって彼女のいっさいを、彼はもう知っているのだから。「あなたはどこにいるの?」クリシャはおずおずと尋ねた。「マリアンドだよ」彼は答えた。ポーランドの中央部にそういう場所があることを、彼女も知っていた。彼女はつづけて尋ねてみた。「どうしてわたしの耳のなかであなたの声が聞こえるのかしら」「きみは特別なひとだからだよ。きみのことが好きになった。愛してるよ」おなじことが三回か四回くり返された。いつもおなじ夢だった。

 

 朝、彼女は銀行で、書類の山にかこまれてコーヒーを飲んでいた。外は水っぽい雪が降り、降ったそばから溶けていった。湿気はセントラルヒーティングで暖められた銀行のなかにまでしみとおり、ハンガーに掛かったコートや合皮でできた婦人用ハンドバッグや、ブーツや顧客までもが、そのせいですっかりじめついていた。そしてこの特別な日、信用貸部門責任者のクリシャ・ポプウォフは、生まれて初めて自分が、完全に、徹底的に、絶対的に、恋していることを悟った。この発見は、顔をぴしゃりとたたかれたみたいに強烈だった。彼女は頭がくらくらした。銀行の待合室の景色は視界から消え去り、耳にはしばらくのあいだ、しんとした静寂が訪れた。突然おぼえたこの恋の感覚に、クリシャは自分が、おろしたてのティーポットになって、はじめて透明な水で満たされたみたいに感じた。一方、彼女のコーヒーはすっかり冷めていた。

(p36) 

 

《自分はおろしたてのティーポットで、はじめて透明な水で満たされている》。ちょっとよく分からないけど、心地良さげな感じは伝わってきました。

 

「どうしたの」彼が尋ねた。

 ふり返ると、不思議そうに自分をじっと見ている彼の目があった。彼女は彼のにおいを感じた。タバコと埃と紙のにおいだった。彼女はそのにおいにぴったりと身を寄せた。そうしてふたりは数分のあいだじっと立っていた。彼は彼女から両手をはなし、しばらくためらい、やがて彼女の背中を撫ではじめた。

「やっぱりあなただわ。あなたを見つけたわ」彼女はささやいた。

 彼は指で彼女の頬に触れると、キスをした。

「じゃあ、きっとそうだ」
彼は彼女の脱色した髪に指を入れ、彼女の唇を吸った。それから彼女をソファベッドにひっぱっていくと、服を脱がせはじめた。彼女はこんなのはいやだと思った。これはあまりに急すぎる。それに、なんだか楽しくない。でも、これは必要なことだった。捧げものをするみたいに。彼女はいっさいを許さなければならなかった。それで、スーツとブラウスとベルトとストッキングとブラジャーをとった。あばら骨の浮いた彼の胸が、彼女の目の前に現われた。それは石のように乾いて、ごつごつしていた。
「夢のなかで、ぼくの声はどんなふうに聞こえたの」吐息のまさったささやき声で彼が尋ねた。
「わたしに耳うちするみたいに話してたわ」
「どっちの耳?」
「左の」
「こっち?」彼は尋ねると、舌を耳にさし入れた。
 彼女は両目をぎゅっとつぶった。もう自由になることはできなかった。それはあまりに遅すぎた。彼は彼女に全体重をかけてのしかかり、彼女をつかまえ、貫き、突きさした。ところが、どうしたわけか、まるで彼女はわかっていたような気がした。まさにこうしなくてはならなかったと。はじめにアモスに取り分をあたえなければならない。あとで自分が彼を連れて帰るために。植物みたいに、あの大木みたいに、家の前に彼を植えるために。だから彼女は、この見ず知らずの身体に自分を捧げたのだ。両腕で
ぎこちなく彼を抱き、リズミカルで不可思議なダンスに加わりさえしたのだ。
「ちくしょう」おしまいに男はこう言った。そしてタバコを吸いはじめた。
クリシャは服を着て、隣に腰かけた。彼がグラスふたつにウォッカをそそいだ。
「どうだった」彼は彼女をちらと見て、ウォッカをぐいとあおいだ。
「よかったわ」彼女は答えた。
「寝よう」
「いまから?」
「明日は汽車に乗らなくちゃ」
「わかってるわ」
「目覚ましをかけとこう」
 A・モスがのろのろと浴室に歩いていった。クリシャはじっとすわったまま、アモスの聖堂を観察していた。聖堂の壁はオレンジ色に塗られていたが、蛍光灯の冷たい光にあたって、気味の悪い青色に反射していた。壁に立てかけられた菓の敷物のすきまから、塗ったままの鮮やかなオレンジ色がのぞいていた。オレンジ色が光輝き、目を射抜かれそうにクリシャには思われた。

(p 52)

 

目の前にいる彼が、自分の探している人物かどうか確証が持てないけど、とりあえずアモスと思われる人のもとに辿りついたクリシャ。「こんなのはいやだと」思いながらも、こうするしかないとわかっているクリシャの気持ちの変化がリアルだと思いました。

 

【クマーニスの生涯のはじまり】
 クマーニスは、父親から見れば不完全な子どもとして生まれた。しかしこれはあくまで、人間からすれば不完全、という意味である。というのも、父親が熱望していたのは息子だったから。とはいえ、人間の世界の不完全は、ときとして神の世界の完全である。彼女は六人目の娘だった。彼女の母は彼女を産んで亡くなった。よって、彼らは道をすれ違ったという言い方もできる。ひとりがこの世にやってきたとき、べつのひとりは世を去った。クマーニスは洗礼のとき、ヴィルゲフォルティス、またはヴィルガという名を授かった。
 これは、山麓の村、シェーナウでの出来事である。山々が北風を防いでくれるので、村の気候は温暖だった。南側の斜面では、いまもときどき葡萄の木にお目にかかることができる。その昔、この地がもっと神に近くて、もっと暖かかった痕跡である。西側には、かつては巨人たちのテーブルだったかのように平らな頂の、べつの荘厳な山々がそびえている。シェーナウの東側は、森が茂った陰鬱な高地に取りかこまれている。南を向くと、チェコの平原をぐるりと見渡すことができ、世界旅行へと人を誘う。そういうわけでヴィルガの父は、自宅の椅子を長々と温めたりするようなことはしなかった。彼は一年中狩りをしていたが、春になると、十字軍の遠征に出かけた。体つきはがっしりとして、気性が激しく、怒りっぽかった。自分の娘たちには乳母や子守をあてがったが、実のところ、それは
娘のために彼ができるほとんどすべてのことだった。ヴィルガがこの世にやってきた数か月後、彼は、あらゆる騎士団の集まる地プラハにむけて旅立った。みな、そこから聖地に赴いたのである。

 

【クマーニスの幼年時代
 ヴィルガは人生最初の数年間を、姉たち、乳母、それに召使といった女性ばかりに囲まれて過ごした。子沢山で、家は騒々しかった。あるとき、父は彼女を呼ばうとしたものの、娘の名前を思い出せなかった。子どもも、頭のなかを占めるものも、馳せ参じた戦争の数も、それに家来もがあまりに多かったので、娘の名前は彼の記憶からすべり落ちてしまったのだった。ある年の冬、父は遠征先から新しい妻を伴い帰宅した。この継母は、幼い少女の人生においてもっとも愛すべきものになった。その美貌や美声、楽器をあやつり魔法のような音をつむぎだす白い手を、少女は感嘆の目で眺めた。継母を見ては、いつか自分もこうなるのだと考えた。かろやかで、美しくて、鳥の羽根みたいに、繊細な女性に。
 ヴィルガの身体は、彼女が夢みたとおりに育っていった。少女は美しく成長し、彼女を目にするだれもが、沈黙のうちに、この創造の奇跡に驚嘆した。そのためたくさんの領主や騎士たちが、彼女の所有者である父親の帰りを、首を長くして待っていた。みずから名乗りでて、だれよりも早く結婚を申し込むために。(p70)

 

 

突然始まるクマーニスという女性の話は、以前はグリム童話にも憂悶聖女(ゆうもんせいじょ)というタイトルで収録されていた話なのだそうです。

それはさておき、「 彼女の母は彼女を産んで亡くなった。よって、彼らは道をすれ違ったという言い方もできる。ひとりがこの世にやってきたとき、べつのひとりは世を去った。」印象的な文章です。こんなふうに誰かの不在を感じることは、確かにあるなと思いました。

 

 ノーベル文学賞を受賞されたときから気になっていた筆者の本ですが、内容に入り込みやすいかと聞かれれば、言葉に詰まってしまいそうです。

同じ場所で起こる、違う出来事が次々展開されるので、似たような主題やモチーフが繰り返し登場します。それが既視感のような効果を生んで、特徴的といえば特徴的であるように思います。

 

物語の展開は(個人的には)、ややネガティブな村上春樹さんが1冊の本を書く間に、ときどき星新一さんが協力して書いた、みたいな印象を受けました。

 

同じオルガ・トカルチュクさんの『ヤクプの書物』も面白そうなので、邦訳されたら手に取ってみたいです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

ポール・オースター『内面からの報告書』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

ポール・オースター柴田元幸(訳)『内面からの報告書』を読みました。

 

    君の住む地域最大の有名人はトマス・エジソンだった。君が生まれたとき、エジソンが亡くなってまだ十六年しか経っていなかった。彼の研究所は君の住むサウスオレンジのすぐ隣のウェストオレンジにあって、発明家の死後は博物館に、全国的な名所になっていて、君も小さいころ遠足で何
度か訪れてはメンロー・パークの魔法使いにしかるべく敬意を表した。白熱電球、蓄音機、映画をはじめ数々の発明を行なったエジソンは、君にとって最大級の重要人物であり、史上最高の科学者だった。研究所内をひととおり見学したのち、来館者はブラック・マリアと名付けられた別館に案
內される。世界初の映画撮影所だった、その大きなタール紙貼りのバラックで、君はクラスメートたちとともに、史上初の物語映画「大列車強盗」の映写を見学した。天才の一番奥なる領域に、聖なる神殿に足を踏み入れた思いだった。当時の君の一番お気に入りの思考者ということで言えばシ
ャーロック・ホームズであり、何ものも恐れず一点の嘘もないその知性の鑑(かがみ)は系統的で合理的な推論の驚異を君に明かしてくれたが、とはいえホームズは単なる想像の産物であり、言葉の中にしか存在しない架空の人物である。これに対しエジソンは現実の、肉体を備えた人間であり、しかも彼の一連の発明品は君が住んでいるところのすぐそば、ほとんど叫べば聞こえるくらい近くで作られたのである。君はエジソンと特別なつながりを感じた。エジソンに対して尋常ならざる敬意を、ほぼ全面的な崇拝の念を抱いた。十歳になるまでに少なくとも二冊のエジソン伝を読んだし(まずランドマーク・ブック、それから影絵イラストの入ったオレンジ色の本)、エジソンをめぐる映画もテレビで二度観ていたし――「若い科学者」(ミッキー・ルーニー主演)、「人間エヂソン」(スペンサー・トレイシー主演) ーー君もエジソンも誕生日が二月初旬であること、そしてそれ以上に君がエジソンのちょうど百年後(の一週間前)に生まれたことになぜか大きな意味があると(いまの君には馬鹿げていると思えるが)考えたのである。だが何よりも嬉しく、何より重要で、君とエジソンとの結びつきをこの上なく深い絆にしてくれたのは、君の髪を切ってくれる人物がかつてエジソンのかかりつけの床屋だったという発見だった。床屋は名をロッコという、小柄の、もはやそれほど若くない男で、シートン・ホール大学キャンパスのすぐ向こう、君の家からほんの数ブロックのところで櫛とハサミを操っていた。これは五〇年代なかばから後半のことで、角刈り、クルーカットの時代、白いバックスキンと白い靴下とサドルシューズ、ケッズのスニーカーとごわごわの、おそろしくごわごわのジーンズの時代であり、君も当時の男の子ほぼ全員と同じに髪を短くしていたから、床屋には頻繁に、平均して月二回は通うことになった。つまり少年期のあいだずっと、二週間に一度はロッコの店の椅子に座って、鏡のすぐ左に掛かったエジソン肖像画の大きな複製を見ていたのである。額縁の右下隅にはメモ用紙が差してあって、わが友ロッコへ 天才は1%の霊感と99%の発汗なり――トマス・A・エジソンと手書きされていた。ロッコこそ君をエジソンとじかに結びつけてくれる環(リンク)だった。かつて発明家の頭に触れた両手が、いまは君の頭に触れているのであり、ひょっとしたらエジソンの頭の中にあった思いがロッコの指に入り込んで、その指がいま君に触れているのだから、それらの思いの一部がいま君の頭の中に染み込みつつあると思ってもいいのではないか? もちろんそんなこと、本気で考えたりはしない。が、そう考えるふりをするのは楽しかったし、ロッコの店の椅子に座るたび、君はこの魔法の思考転移ゲームを楽しんだ。あたかも君が――何も発明しない運命であり、将来も機械的なことにはおよそ何の才能も示しはしない君こそが――エジソンの精神の正統なる継承者であるかのように。やがて、君を愕然とさせたことに、ある日君の父親が、何気ない口調で、高校を卒業してからエジソンの研究所で働いたことがあると告げた。一九二九年、父にとって初めてのフルタイムの仕事だったという。メンロー・パークの巨匠の下で働く大勢の若者の一人、それだけの話である。おそらく父は、君の気持ちを傷つけまいとして話の後半は語らなかったのだろう。いずれにせよ、エジソンが君の家族の歴史の一部であった――つまりいまや君の歴史の一部でもある――という事実は、あっさりロッコの指に代わって、偉人との最重要リンクの地位を占めるに至った。君は父親のことが心底誇らしかった。これこそ父がいままで自らについて打ちあけてくれた最重要情報であり、君はそれを飽きることなく友人たちに伝えつづけた。僕の父さんはエジソンの研究所で働いてたんだぜ。いまや君は、よそよそしく打ちとけない人だと思っていた自分の父を、もうまったくの謎とは考えず、やっぱり父さんだって血の通った人間なんだ、世界をよりよくする大事な仕事にちゃんと貢献したんだと考えるようになった。父は君が十四歳になったとき初めて、物語の後半を語った。エジソンの研究所での父の仕事は、数日しか続かなかったことを君は知った。君の父が無能だったからではなく、父がユダヤ人であることをエジソンが知ったからである。メンロー・パークの聖域にはいかなるユダヤ人も入ることを許されなかった。エジソンは君の父を執務室に呼びつけ、その場で解雇した。君の偶像は狂信的な、憎悪に満ちたユダヤ人嫌いであることが判明したのである。よく知られたこの事実は、君が読んだどのエジソン伝でも触れられていなかった。

(p28)

 

本書は筆者が彼自身の生い立ちを振り返るエッセイになっています。

エジソンにそんな好き嫌いがあったことをこの記述で初めて知りました。憧れだった偉人は、オースターの父親はじめ彼らの属する人種をどう思っていたか。事実を知った子ども時代のオースターがどれ程衝撃を受けただろうかと考えると、苦い気持ちになります。

 

 バスター・クラブを始めとする映画のカウボーイはいち早いモデルとして、丹念に吟味し見習うべき男性的な行動規範を教えてくれた。寡黙で、自分からは決して面倒を起こさないが、面倒が向こうからやって来たら大胆かつ巧妙に対応する男。物静かな、控えめな威厳とともに正義を支え、善と悪の闘いにおいて自らの命を危険にさらすことも辞さぬ男。もちろん女性だって英雄的にふるまうし、時には男よりもっと大きな勇気を示すこともあるが、女性は君の手本にはならなかった。それは単に君が男の子であって女の子ではなかったから、男の大人に成長するのが君の運命だったからだ。七歳になったころには、カウボーイはスポーツ選手に主として野球とフットボールの選手に代わっていた。いまから考えると、球技に秀でることで人生をどう生きるかが学べると当時の自分が思ったことには戸惑うほかないが、とにかくそれが事実だった。いまや君は熱心なスポーツ狂で、スポーツがまさしく生活の核となっていたから、五万、六万の観衆でひしめくスタジアムで一流選手たちがここ一番という瞬間にすさまじいプ
レッシャーの下で実力を発揮するのを見て、彼らこそ君の世界の紛うかたなき英雄だと決めたのだった。砲火の下の勇気から、決定的瞬間の技術への移行。厳しいカバーをくぐり抜けて弾丸パスを通す力、ヒットエンドランのサインを受けてライトに二塁打を放つ力。倫理的偉大さはいまや肉体
の武勇に取って代わられた。もしくは肉体的能力が倫理的偉大さを帯びるに至ったと言うべきか。いずれにせよ、少年時代中期ずっと、そうした崇拝の念を君は育みつづけた。八歳になる前に、早くも初めてのファンレターを、当時トッププレーヤーだったクリーヴランド・ブラウンズのクォー
ダーバック、オットー・グレアムにてて書き、ニュージャージーでもうじき開かれる君の八歳の誕生パーティに彼を招待した。君を永遠に驚愕させたことに、グレアムは返事をよこした。クリーヴランド・ブラウンズの公式便箋に短いメッセージをタイプして送ってきたのである。言うまでもなく、その日は先約があるからと言って誘い自体は断っていたが、その丁寧な返事で君の失望も和らげられた。もちろん可能性は薄いとわかっていたが、心のどこかで君は、本当に来てくれるかもしれないと思っていたのであり、彼がやって来た場面を頭の中で何度も思い描いていたのである。
 そしてその数か月後、今度は地元の高校フットボール・チームの主将でクォーターパックのボビー.Sに、あなたは素晴らしい選手だと思いますという旨の手紙を君は書いた。何しろまだほんの子供だったから、きっと綴りの間違いや馬鹿げた誤用に満ちた噴飯ものの手紙だったにちがいない
が、かくも年少のファンがいると知ってきっと心を動かされたのだろう、ボビー・Sはわざわざ返事をくれて、もうフットボールのシーズンは終わったからとバスケットボールの試合に招待してくれて(彼は秋にフットボール、冬にバスケット、春に野球をプレーする三競技スーパースターだっ
たのだ)、ウォームアップ中にフロアに降りてきて声を掛けるよう君に指示し、言われたとおり君が訪ねていくとボビー・Sはベンチに君の場所を空けてくれて、君はそこでチームのメンバーたちと一緒に試合を観戦したのだった。ボビー・Sは当時十七歳か十八歳、思春期の若者にすぎないが、
君から見れば大の大人であり、巨人と言ってよく、それはチームのほかの選手たちも同じだった。一九二〇年代に建てられたその古い高校体育館で、君は幸福の後に包まれてゲームを観戦し、周りの観衆が立てる音に動揺しかつ鼓舞され、タイムアウトとともにフロアに跳ね出てきたチアリーダーたちの美しさに圧倒され、こうしたことすべてを可能にしてくれたボビー・Sを精一杯応援したが、試合そのものについては何も覚えていない。ショットひとつ、リバウンドひとつ、スティールされたパスひとつ。覚えているのはただ、自分がそこにいて、高校チームと一緒に夢見心地でベンチに座り、チップ・ヒルトンの小説の中に紛れ込んだような気でいたことだけである。

(p34)

 

7歳でファンレターを書くオースターがすごい。それにお返事が来るのも微笑ましいです。

 

 君の目的はあくまで、君の若き精神のありようをたどり、君を抽出して眺め、君の少年時代の内的地理を探ることだが、君は決して孤立して生きていたわけではない。君は家族の、奇妙な家族の一員だったのであり、疑いなくその奇妙さが、かつての君であった子供と大いに関係している。ひょっとしたらすべてはそこから来ていると言ってもいいかもしれない。といってもべつに、語るべき恐ろしい物語が、暴力や虐待の劇的な話があるわけではない。あるのは、ずっと途切れぬ底流のように続く悲しみであり、君は生来悲しみがちな子供でもあからさまに辛い思いで生きている子供でもなかったから、それを精一杯無視しようと努めた。けれども、ある程度大きくなって、自分の状況をほかの子たちのそれと比較できるようになると、自分の家族が壊れた家族であることを君は理解した。両親は自分たちが何をやっているのかわかっていないのであり、たいていの夫婦が子供のために築こうとする砦はこの家にあってはいまにも倒れそうな掘っ建て小屋でしかない。
 ゆえに君は、自分が世界の脅威に直接さらされていると感じた。自分は何にも護られず、無防備なのだと感じ、だから生き延びるためには強くなってどうにか一人でやっていくすべを考えないといけないと思った。この二人は夫婦でいる謂(いわ)れなんて全然ないのだと君は悟った。君が六つのときに母親が外で働き出してからというもの、二人はろくに顔も合わせず、話すこともほとんどないみたいで、たがいへの寒々しい無関心の中で共存していた。罵倒、けんか、どなり合い、一目でわかる敵意等々があったわけではない。ただ単に、どちらも情熱を欠いていて、偶然同室させられた囚人二名が厳めしい沈黙を保ちつつ刑期を務めているような有様だったのだ。もちろん君は二人のどちらも愛していたし、二人のあいだがもっと上手く行けばいいと強く願ったが、年月が過ぎていくにつれてだんだん望みを失っていった。二人とも大半の時間は出かけていて、夜まで長時間働き、家はいつも空っぽのように思えた。一家揃っての夕食はめったになく、四人が一緒になる機会もごくわずかで、君が七歳か八歳になったあとは、君と妹の食事も大半は家政婦の女性が世話してくれた。
 キャサリンという名の黒人で、君が五つのときに登場し、その後長年、君の人生の一部であり続け、君の両親が離婚し母親が再婚したあとも母親の下でそのまま働き、一九七九年に君の父親が死んだのちももうだいぶ耄碌(もうろく)していたけれど依然君と手紙をやりとりする仲だった。けれどキャサリンはとうてい母親的な人物とは言えなかった。メリーランドの田舎の出の変わり者、数度の結婚歴と数度の離婚歴、ゲラゲラよく笑う冗談好きで、こっそり隠れて酒を飲み、煙草(クール)の灰を自分の手のひらで受ける。そんな人間だったから、母親代わりというより友だちみたいなものだった。そういうわけで、君と妹は二人きりでいることが多かった。いつも心配している、ひ弱な君の妹――約束の時間に母親が帰ってくるのを窓辺に立って待ち、車が予定時刻ぴったりに道路から入ってこないようなことがあれば、取り乱し、泣き出し、お母さんは死んだんだと信じて疑わず、何分かが過ぎていくなかで涙は激しいすすり泣きと突然の癇癪へと膨らんでいき、君は、まだ八、九、十歳の君は、妹を落着かせよう、慰めようと懸命に頑張るものの、足しになったためしはまずなかった。哀れ君の妹は、二十代前半に至ってとうとう完全に壊れてしまい、狂気へと墜ちていく旅が何年も続き、現在は医者と向精神薬に支えられて何とか崩れずに済んでいる。妹の方が、君よりはるかに、君たち奇妙な家族の犠牲となったのだ。母親がひどく不幸だったことがいまの君にはわかるし、父も不器用ながら母を愛していた――父が人を愛せる限りにおいて―こともわかる。だがとにかく、二人はやり損なった。子供のころ自分がその悲惨な事態の一部だったという事実が、君の目を内面に向けさせたこと、君を人生の大半部屋で一人座って過ごしてきた人間にしたことはまず間違いあるまい。

(p42)

 

オースター作品できょうだいを書いた作品をあまり思いつきませんが、この彼の妹のことを書いた文章を読んで、何となく腑に落ちました。

 

両親が東ポーランドやロシアのユダヤ人街(シュテトル)から移住してきた大統領候補もいない。まあ三〇年代、四〇年代にボクサーは何人か活躍したし、クォーターバックのシド・ラックマン、野球界の三名手(ハンク・グリーンバーグ、アル・ローゼン、一九五五年ドジャースでプレーしはじめたサンディ・コーファックス)もいたが、彼らは例外中の例外であり、人口分布上の異常、統計上の逸脱でしかない。ユダヤ人でもバイオリニストやピアニストはいるし、時には指揮者もいるが、人気歌手やミュージシャンはみなイタリア人か黒人か、南部出の田舎男(ヒルビリー)だ。ボードビル芸人もいるし、コメディアンもいるが(マルクス兄弟ジョージ・バーンズ)、映画スターはいないし、ユダヤ人として生まれても俳優はかならず名前を変える。ジョージ・バーンズは元はネイサン・バーンバウムだった。エマヌエル・ゴールデンバーグはエドワード・G・ロビンソン
変身した。イスール・ダニエロヴィッチはカーク・ダグラスになり、ヘートヴィヒ・キースラーはヘディ・ラマーに生まれ変わった。「紳士協定」について言えば、結局は生ぬるい作品であり、非ユダヤ人のジャーナリストがユダヤ人に対する偏見を暴こうとユダヤ人になりすますという筋立て
はわざとらしいし、主張も偽善的だが、一九四七年のアメリカ社会――君が生まれ落ちた社会―の中でユダヤ人が占めていた位置を知る上では参考になる。ドイツが一九四五年に敗北したことで反ユダヤ主義は永久に抹殺されたはずだ、少なくともその可能性は高いはずだと考えたくなるが、
君の国の現実はさして変わっていなかった。ユダヤ人の大学入学者数制限はまだあったし、クラブなどへの入会もいまだ限定され、毎週のポーカーの席上ではユダヤ人をダシにしたジョークに相変わらずみんなが笑い転げ、民族の主たる代表となればいまだにシャイロックだった。君が育ったニュージャージーの町でも、幼い者にはまだ理解できず気づけもしない不可視の境界や障害があった。
君の最大の親友ビリーが一九五五年に一家で引越してしまい、もう一人の仲良しピーターも翌年に消えてしまうとーーこれら辛い別れに君は戸惑い、悲しんだーー君は母親から説明を聞かされた。あまりに多くのユダヤ人がニューアークを出て、人並みに芝生の庭を求めてこうした郊外に移ってきているせいで、昔からここにいた人たちが立ち去っているのだ、非キリスト教徒の突然の流入から逃げているのだ、と。母は反ユダヤ(アンティ・セミティック)という言葉を使っただろうか? 思い出せないが、母の話の含むところは明らかだった。ユダヤ人であるとは、人とは違うということ、離れて立つこと、部外者と見なされることなのだ。そして君は、それまでずっと自分を掛け値なしのアメリカ人だと、メイフラワー号に乗ってやって来た純血の人たちと同等にアメリカ人だと思っていたのに、君のことをよそ者だと思っている人々が存在することをいまや理解した。自分の場所(ホーム)と呼んでいる場所にいても、本当に自分の場所にいるのではないことを君は悟ったのだ。


 その場に属していると同時に、その場に属さないということ。大半の人間には受け容れられても、一部の人間に疑いの目で見られるということ。アメリカは特別だという華々しい物語を小さいころは信奉していた君は、だんだんその物語から身を引きはじめた。いま住んでいる世界とは違う別の世界に自分が帰属していることを君は徐々に理解していった。君の過去は、どこか遠くの、東ヨーロッパのユダヤ人居住地に根ざしている。君の父方の祖父母と、母方の曾祖父母とがその世界を離れるだけの知恵があったからよかったものの、もしその知恵を欠いていたら君たちのうちほとんど誰一人いま生き残ってはいないだろう。ほぼ全員が戦争中に殺されていただろう。人生は危険をはらんでいる。君の足の下の地面はいつ崩れてもおかしくない。君の一族はアメリカにたどり着き、アメリカによって救われたわけだが、だからといってアメリカが君たちに温かく接してくれると期待してはいけない。追放された者たち、蔑まれ虐げられた人々に君は共感を寄せるようになった。

(p62)

 

「蔑まれ虐げられた人々に君は共感を寄せるようになった。」この感情に、オースター作品らしさを感じます。

 

  帰って来て以来嬉しい事の一つは、ピーターとの交友が――手紙で依然続いている事だ。彼の手紙には本当に心が温まる。僕にはこんなに良い友を持つ資格は無い。ピーターと来たら、根っからの親切心、自己犠牲の精神を発揮して、出し抜けにパリを去った僕の持ち物をまとめて、アメリカまで送ってくれたんだ。そういうのって凄く鬱陶しい仕事なのに、大いなるユーモア精神を以てピーターはやってくれた。目下荷物は空港にあり、明日配達される。タイプライター、ノート、本が戻って来るのは実に有難い……それに、これでやっとズボンが替えられる……


 1968年1月1日 祖母が亡くなった――昨日葬儀だった予想していた事とはいえ、僕は未だに……動揺している。葬式自体もひどく心乱されるものだった――祖父が取り乱して、わあわあ泣いて……何もかもが哀しい。とはいえ、祖母がもうこれ以上あの恐ろしい責め苦(筋萎縮性側索硬化症。)を味わわずに済むのは救いだ。それに幸い、眠ったまま静かに逝った――窒息するんじゃないかと心配していたから…


 翻訳のタイプ清書が終った(160ページ)。大枚はたいてコピーを一組作った―ひょっとしたらもう一組ただで作れるかも知れない――そうなったらすぐ君に送る―ならなかったら、来月もう少し懐が潤うまで待って貰うしかない…
 本当に上等の、深々とした笑いが望みなら、フラン・オブライエンの「スウィム・トゥー・バースにて」を読み給え。自信を持って勧める。
 

 2月2日  丸一月、君から一言の便りも無い…何かあったのかと、君のお母さんに電話してみた。君の新住所はロンドンW6だと言われた。君が知らせてきたのはN6。もしかしたらこれが原因で仕分け室において混乱が生じたのか。
 僕はと言えば、21歳の誕生日が何事もなく訪れて、過ぎていったという事位だ……こんなに自分が誰からも必要とされず、求められてもいない気になったのは初めてだ。僕は真空の中で生きている―誰とも何の関りも持たない――それは苦痛だ。他人を眺める事しか出来ない。僕には誰かが必要だ。

 

 3月2日 君からの最新の手紙…もう一度君に言う、僕の事は心配しないで。僕は大丈夫だから、本当に。僕との関係において、君が自分を疑うには及ばない。現時点で解決しようが無いと判っている問題についてあれこれ思い悩むのはよそう。今はただ、君の生活が何から成り立っているにせよ、それを抱えて精一杯良く生きるよう努める事だ。人間は現在の中で生きる事によって最も永遠の感覚に近付けるのだと僕は思う……
 自分は誰に愛されるにも相応しくないのだと思い至って、時々身震いしてしまう。恐らくは生来の理想主義故なのだろう、この世界の何一つ善いものに思えない。僕の抱えている寂しさは自虐的な欲望だ...
 周り中で目に付く……狭量さ、愚かしさ、偽善……その結果、自分が寛容でなくなって行くのが判るーーそうして、人に不愉快な思いをさせぬよう、人前から消える。

(p202)

 

上記は彼の最初の奥さんに宛てたお手紙からの文章です。

21歳の筆者が孤独の渦中にいることがひしひしと伝わってきます。手紙からも、(彼が書いたのだからあたりまえなのですが、)オースターの文章らしさが存分に出ています。

エッセイなのに、やっぱりいつものオースター作品っぽいところに、ファンとしては何だかときめいてしまいます。

 

巻末の、文章にまつわる写真がたくさん載っているのも面白いと思いました。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

シュトルム『みずうみ/三色すみれ/人形使いのポーレ』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

シュトルム、松永美穂(訳)『みずうみ/三色すみれ/人形使いのポーレ』を読みました。

 

読んだのはずいぶん前なのに、心に残るシュトルム作品。 

大好きな松永美穂さんの訳で文庫になっていたので、再読しました。

3話入っている中で、「三色すみれ」だけ、初めて読みました。改めて、それぞれのお話で響いた場所をご紹介します。

 

「みずうみ」

 

 ついに休暇の最後の日が来て、出発の朝になった。エリーザベトはお母さんに頼んで、自宅から何本か先の通りにある郵便馬車の停留所まで、ラインハルトを見送りに行く許可を得た。玄関から外に出ると、ラインハルトは彼女に腕を貸した。そうやって、ラインハルトは黙ったまま、ほっそりした娘の隣を歩いていった。停留所に近づけば近づくほど、長い別れを告げる前に彼女に言っておかなければいけないことがある、という気持ちになってきた――そこに、将来の生活のすべての価値、すべての愛情がかかっているのだ。しかし彼には、窮地を救うような言葉が思い浮かばなかった。そのことで不安になり、足どりはどんどんゆっくりになった。

 「このままだと乗り遅れる」エリーザベトが言った。「聖母教会の嫌が十時を打ったでしょ」

 それを聞いても、ラインハルトの歩みは速くならなかった。ついに彼は、つっかえながら言った。「エリーザベト、ぼくたちはこれから二年間会えないんだ__戻ってきても、いまと同じように好きでいてくれるかな?」

 彼女はうなずき、親しみを込めて彼の顔を見つめた。 __「わたし、あなたの弁護もしたのよ」ちょっと沈黙してから、彼女が言った。

「ぼくを? 誰に対して弁護したの?」

「お母さんに対してよ。夕べ、あなたが帰ってから、長いことあなたについて話をしたの。お母さんは、あなたが昔ほど善良じゃなくなったと言うのよ」

 ラインハルトは一瞬、黙り込んだ。それから彼女の手を取り、子どものような目を真剣に覗き込みながら言った。「ぼくはまだ前と同じくらい善良だよ。そのことを信してほしい! 信じてくれる、エリーザベト?」

「ええ」と彼女は言った。彼はエリーザベトの手を離すと、最後の通りを急ぎ足に進んでいった。

(p40)

 

 

 将来は幼馴染のエリーザベトと結婚するものと考えていたラインハルトは、進学を機に故郷を離れ、この間にエリーザベトは彼の友人と結婚してしまいます。

この場面は、彼がエリーザベトと一緒になる可能性があったかもしれない転換点なのですが、何度読んでも、ここから二人が結ばれる展開にはならなそうな気がします。

2人が結ばれないという話の結末を知っているという以外でも、この時点でのラインハルトは、新しい環境での刺激や好奇心と、研究への意欲があるように見え、エリーザベトを離してはいけないという気持ちには至らないようだからです。

 

そして、前に読んだ際に気になっていたエリーザベトの詩は、松永訳ではこのようになっていました。

 

「母が望んだことでした。

別の人に嫁ぐようにと、

わたしがそれまで持っていた

気持ちは忘れてしまいなさいと、

でも、わたしの心は抗ったのです。

 

わたしは母に訴えます、

母のしたことは間違っていたと、

普通ならば名誉であったはずのことが

いまでは罪となる、

わたしは何を始めてしまうのだろう!

 

誇りと喜びに代えて

わたしは苦悩を手に入れた、

ああ、あんなことが起こらなければ、

ああ、物乞いに出てしまえるならば

茶色い荒野を越えて!」

 

 

「三色すみれ」

 

でもネージーには、心のこもった会話の鍵になるような呼びかけの言葉が欠けていた。「ママ」という一つの呼びかけは――彼女の気持ちとして――使えるけれども、「お母さま」というもう一つの呼びかけは口にできないのだった。

 子どものこうした最後のためらいを、イネスも感じ取っていた。そんなためらいなど、いとも簡単に取り除けそうに思えたからこそ、イネスの考えはくりかえしこの点に戻ってきた。

 そのようなわけで、ある日の午後、彼女は居間で夫の隣に座り、紅茶沸かし(サモワール)の器械から低く歌うように上がる湯気を眺めていた。

 ちょうど新聞を読み終えたルドルフは、彼女の手をつかんだ。「静かだね、イネス。きょうは一度も話しかけてこなかったな!」

「お話ししたいことはあるんですけど」彼の手から自分の手を抜き出しながら、イネスはためらいつつ答えた。

ーー「それなら言ってごらん!」

しかし彼女はまだしばらく黙っていた。

ーー「ルドルフ」と、ついに彼女は口を開いた。「あの子に、わたしをお母さまと呼ばせてちょうだい!」

ーー「ネージーはきみをお母さまと呼ばないのかい?」

 イネスは首を横に振り、到着の日のできごとを話した。

 ルドルフは彼女の話を穏やかに聞いていた。「それは、あの子の魂が無意識のうちに見出した逃げ道なんだろう」と彼は言った。「感謝をこめて、そっとしておいてやるというのはどうだろう?」

 若妻はそれには答えず、ただ、「そうしたらあの子はけっしてわたしに馴染まないと思います」とだけ言った。

 彼はまた妻の手を取ろうとしたが、妻は手を引っ込めた。

「イネス」と夫は言った。「人の本性が許そうとしないものを、求めてはいけないよ。ネージーを無理矢理きみの子どもにしたり、きみが無理矢理あの子の母親になったりするようなことは!」

 イネスの目から涙が溢れ出た。「でも、わたしはあの子の母親になるべきなのよ」

ほとんど激しいといっていい口調で彼女は言った。

ーー「あの子の母親だって? いや、イネス、そうなる必要はないよ」

「じゃあわたしは何になればいいの、ルドルフ?」

ーーもし彼女にこの問いへの当然の答えが理解できれば、自分でそれを見出していたはずだ。ルドルフはそう感じて、助けになる言葉を見出さねばいけないというように、考えこみながら彼女たちの目を見つめた。

「白状して!」夫の沈黙を誤解したイネスは言った。「あなたにも答えはわからないんでしょ」

(p84)

 

 

死んだ母親のことを「お母さま」と呼んでいたけど、新しい母親であるイネスのことは同じ名称では呼ばないネージー。ネージーの気持ちも、イネスの気持ちも、何となく分かるだけに、かみ合わなさに切なくなります。そして、二人の感情にうまく寄り添って(フィクションですが)書くシュトルムが凄い。

 

人形使いのポーレ」

 

わたしはすでに宿屋の前で彼らと別れの挨拶を交わしたのだが、もう一度会うために先回りをしていた。ヴァイセの『子どもの友』を記念の品としてリーザイにあげる許しも、父から得てきていた。袋に入ったケーキも、日曜日のお小遣いを貯めた数シリングで手に入れていた。「止まって! 止まって!」わたしは叫び、荒れ地の丘から馬車に向かって走っていった。――テンドラー氏が手綱を引き、茶色い馬は足を止めた。わたしは馬車の上のリーザイに小さな贈り物を渡し、彼女はそれを自分の横の椅子に置い

た。一言も言わずに両手を握りあったわたしたち哀れな子どもは、大声で泣き出してしまった。だがその瞬間、テンドラー氏がまたポニーに鞭を当てた。「さよなら、坊や!元気でいるんだよ、そしてお父さんとお母さんにありがとうと伝えておくれ!」

 「さよなら! さよなら!」とリーザイが叫んだ。ポニーが馬車を引っ張り、首につけた鐘がチリンチリンと鳴った。小さな手がわたしの手のなかから滑り出ていくのを感じた。彼らは遠くへ、広い世界へと去っていってしまった。

 わたしはまた道の端をよじ登り、砂を埃のように巻き上げていく小さな馬車をじっと見送っていた。チリンチリンという鐘の音がどんどんかすかになっていった。もう。一度、白いハンカチが箱の周りではためくのが見えた。それから次第に、彼らの姿は灰色の秋の森のなかに消えていった。――そのとき突然、死の不安のように胸にのしかかってくるものがあった。お前は彼女に二度と、二度と会えないぞ! ーー「リーザイ!」わたしは叫んだ、「リーザイ!」――しかし、呼んでも返事はなく、おそらくは街道がカーブしているせいで、霧のなかに泳いでいた点のような姿も完全に目の前から消えてしまったとき、わたしはやみくもに彼らを追って走りだした。突風がわたしの頭から帽子を奪っていき、ブーツのなかは砂で一杯になった。どんなに遠くまで走っても、木々のない荒廃した土地と、その上に広がる冷たい灰色の空以外のものは見えてこなかった。――夕闇が迫るころにようやく家に帰り着くと、町中の人がその間に死に絶えたかのような気分になった。それは、わたしの人生における最初の別れだったのだ。

 それに続く年月のあいだ、秋が訪れてノハラツグミが町の庭を飛び回り、向かいの仕立屋の宿で最初の黄色い葉が西洋菩提樹から舞い落ちるとき、わたしは何度もベンチに座り、茶色いポニーに曳かせたあの小さな馬車がまた鐘を鳴らしながら道を上ってこないだろうか、と考えていた。

 しかし、待っても無駄だった。リーザイは二度とやってこなかったのだ。

(p183)

 

 

 もう二度とリーザイには会えないだろう、と理解した瞬間にやってくる感情の描写が印象的です。

 

 やがて、わたしの旅立ちのときが近づき、わたしはだんだん心が重くなってきた。リーザイを見ることが苦しくさえなった。彼女もまもなく父親と、広い世界に旅立っていこうとしていたからだ。彼らに故郷があればよかったのに! 挨拶や便りを送ろうと思っても、どうやって彼らを見つけられるだろうか! 最初に別れてからの十二年間のことを、わたしは思った。 またそんな長い時間が過ぎるまで会えないのだろうか、それとも、結局は一生会えないままだろうか?

「そして、あんたが国に帰ったら、実家の建物によろしくね!」最後の晩、わたしを玄関まで送りながら、リーザイが言った。「まだ目に浮かぶよ。玄関前のベンチ、庭の西洋菩提樹、絶対に忘れない。世界中で、あれほど好きな場所はなかった!」

 彼女がそう言ったとき、わたしにはまるで故郷が暗い淵から輝きだしてくるようだった。母の優しい目や、しっかりとまじめそうな父の面影が浮かんだ。「ああ、リーザイ」とわたしは言った。「ぼくの実家はいまどこにあるんだろう! すべてが荒れ果てて、空っぽなんだ」

 リーザイは答えなかった。ただわたしの手を握り、善良な目で見つめるだけだった。

 その瞬間、母の声が聞こえてきたように思えた。「この手をしっかりと握って、彼女と一緒に家に帰りなさい。そうすればあなたにはまた故郷ができるのよ!」―そこで、わたしはリーザイの手をしっかりと握って、言った。「ぼくと一緒に帰ろうよ、リーザイ。あの空っぽの家で、一緒に新しい人生を作っていこう。きみが好きだったうちの両親が、かつて送っていたようないい人生を!」

パウル」と彼女は叫んだ。「何を言ってるの? わたしには意味がわからない」

 彼女の手はわたしの手のなかで激しく震えだした。わたしは「ああ、わかってくれよ、リーザイ!」と言っただけだった。

 彼女は一瞬、沈黙した。「パウル、あたしは父さんを置いてはいけんよ」と彼女は言った。

「一緒に来てもらおうよ、リーザイ! 裏の離れには二部屋あって、いまは空いているんだ。お父さんはそこに住んで、いろいろ仕事ができるよ。老ハインリヒの仕事部屋もすぐ隣だしね」

 リーザイはうなずいた。「でもパウル、あたしたちは旅芸人だよ。故郷の人たちはあんたのことをどう言うだろうね?」

「みんな、ものすごく噂話をするだろうね、リーザイ!」

「怖くないの?」

 わたしはただ、笑っただけだった。

「そんなら」とリーザイは言い、彼女の声は鐘のように響いた。「あんたに勇気があるなら―あたしにもあるよ!」

「じゃあきみは、喜んでぼくと結婚するの?」

「うん、パウル、喜んでするのでなければ」―彼女は茶色の頭をわたしに向かって振った。「けっしてそんなことはしないよ!」

(p202)

 

 

 今生の別れかと思っていたリーザイと、パウルは12年後に故郷から離れた町で偶然再会します。そして、今はなきパウルの母親が、彼の背中を押してくれる場面が凄く好きです。

 

 しかし、まもなく別の、もっと真剣な芝居の幕が上がった。昔からの肺の病が再発して、義父の命はどうやら終わりに近づいているようだった。どんな小さな心遣いにも深く感謝しながら、彼は辛抱強くベッドに横たわっていた。「うん、うん」と彼はほほえみながら言い、明るく天井板を見上げていた。まるでそこを通して、すでに永遠のかなたを見ているかのように。「これでいいんだ。人間とはいつもうまくいくわけじゃなかった。天使たちとはもっとうまく付き合えるだろう。それに――何はともあれ、リーザイ、そこに行けば母さんがいるからな」

ーー善良で無邪気な人は亡くなった。リーザイとわたしは、彼がいなくなってとても寂しかった。老ハインリヒも寂しがり、その後の日曜日の午後にはどこに行っていいのかわからず、もう見つからない人のところに行きたがっているかのようにうろうろしていた。そんな彼も、数年後にはこの世を去った。

    義父の棺を、彼が手入れしてくれた庭のあらゆる花で飾った。花輪で重みを増した棺は教会の庭へと運ばれたが、そこでは外壁から程遠からぬところに墓が準備されていた。棺を墓穴に降ろしたとき、老教区長が穴の縁に歩み寄り、慰めと約束の言葉を語った。彼は、亡くなったわたしの両親にとっては常に誠実な友人であり、相談相手だった。わたしは彼から堅信礼(思春期になった子どもが正式に信仰を告白して教会員となる儀式。)を受けたし、リーザイとの結婚式も挙げてもらった。

(p219)

 

 

 「人間とはいつもうまくいくわけじゃなかった」という、リーザイのお父さんの言葉が心に残ります。棺を、彼が育てた花で飾るというのも、パウルとその家族をずっと見てくれた老教区長が葬儀を取り仕切ってくれるというのも、ちょっといいなと思いました。

 

作者シュトルムの故郷である北ドイツのフーズムには、生家と記念館があるらしいので、いつか訪れてみたいと思います。

 

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

今村暁『1分間の日記で夢は必ずかなう!』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

今村暁『1分間の日記で夢は必ずかなう!』を読みました。

 

学生時代にホームステイをした際、日記を付けたのですが、帰ってきてから読んでも意外と面白くて、日記をつけることのメリットについて気になっていました。

ただ、そんな経験があったのにそれ以降は続かず…。

もっと後押しというか、動機付けがあれば、再開できるかなと思って読んでみました。

 

著者が本書でオススメしている日記の書き方は、次のような方法です。

 

■朝、2つの項目を書く。

①「夢、目標」

②「やりたいこと」

 

■夜、3つの項目を書く。

③「今日のできごと」

④「今日の感謝」

⑤「今日の成功法則・学びの言葉」

 

これを朝・夜ともに1分間ずつ書いていきます。

各項目に書く内容の詳細は以下の通りです。

 

①=「夢、目標」は具体的でハッキリ書く。「~したい」「~になりたい」ではなく、「~である」「~している」のような現在進行形で断言する形で書く。

例、x「積極的な自分になる」

      〇「毎朝、職場で大きな声で挨拶をする」

 

〇「目標」は日々変わってOK!

 

 長期目標というのは、多くの人が途中で変わっていくことでしょう。でも、それでいいのです。

「目標は絶対に変えるな」「目標を信じ続けろ」という考え方を説く人が多いのですが、私はまったくそうは思いません。

 まれに、「自分の本当にやるべき使命」のようなことにあらかじめ気づいていて、一寸たりともぶれずに猛進する人がいます。

 でもこのような人は、日本チャンピオン、世界チャンピオンになるようなすごい人たちです。

 多くの人たちは、はじめは「自分は何者なのかわからない」「自分が本当にやりたいことが何かわかっていない」「自分の感情に気づいていない」という人たちなのです。

 それなのに、自分を見つめる作業をあまりしたことがないため、「どこかの誰かに聞いたこと」を真似して目標にしている人がほとんどです。

「他人からの借り物の夢」を追いかけようとしているのです。今までに「1年のうち半分くらいは海外で暮らす経営者になりたい」「美人秘書を雇って六本木ヒルズに住みたい」「不労所得を得て、悠々自適に暮らしたい」「30歳までにセミリタイアしたい」という夢を何十人もの人から聞きました。

 これらの目標がダメだとは言いません。でも、毎日、この日記を書き続けて半年後もこう思っていられたときには「その人にとってはそれが本当の感性なのだ。それがぴったりの目標なのだ」ということなのです。

 ほとんどの場合はどこかの本で読んだり、セミナーで聞いたようなことに影響を受け、「本来の自分の感性ではそう感じていないこと」に執着しているのです。

 毎日、日記を書くという作業は自分の中のモチベーションを高める作業をしているだけでなく、自分の本当の感性、自分の本当の「want」、自分の本当の目標は何かということを問いかける作業なのです。

 この本当の目標が、いつ感性からわき出てきて見つかるかはわかりません。1カ月で見つかる人もいるでしょうし、1年かかる人もいるでしょう。

 でも、本当に自分を見つめてみない限り、一生気づかないままで終わる人も多いことでしょう。

 はじめのうちは毎日のように目標が変わるかもしれません。でも、そのときに「自分は堪え性がない」「自分は根性がない」「自分は継続性がない」などと自分を責める必要はまったくありません。それでいいのです。というよりも、それがいいのです。

 本当の自分に近づいていこうとしているのです。 夢とは心がワクワクすることです。本当の自分の深いところからわき出た夢に出会うまでは、日々変化してかまいません。

 そして、心の底の感性からわき出る夢に気づけたとき、人は夢に向かって、猛進し始め、夢をかなえるのです。

 

〇戦略を変えるために目標を変える!

 

 はじめに「年収5000万円になりたい」という目標を掲げたとします。毎日毎日、その目標を書き続けます。

 その作業をしながら「どうやって年収5000万円になろう?」「なんで5000万円欲しいのだろう?」「本当に5000万円欲しいのだろうか?」と感性というスーパーコンピューターは考え、感じ続けます。

 そうしているうちに、あるとき突然、本当に欲しいものの形が見えてきます。

 そして「そうか!自分が5000万円欲しかったのは、家族の幸せを求めていたんだ。そのための5000万円だったんだ」と自分の深い感性に気づいていきます。

 もちろん、その内容はそれぞれです。5000万円を欲しかった理由は「家族のための安心」であったり、「親孝行」であったり、中には年収5000万円を使った恋愛の成就」が目的かもしれません。(p73)

 

 

自分の夢だと思っているものが「どこかの誰かに聞いたこと」を真似している、というのがちょっと衝撃的でしたが、自分の頭で考え出したようで実際にはそんなものなのかもしれません。

 

②=「やりたいこと」が浮かんだらスグにメモ。

 

 目標を書いたら、次に「やりたいこと」を書き出してみましょう。

 ここで大事なことは「できるかどうか」は関係ありません。「自分が今、ふとやってみたいと思ったこと」を書くのです。

 おもしろいことに活動的な人というのは、この「やりたいこと」というのが次々に出てきます。あっという間に100個以上書けてしまう人もいます。

 反対に、「やりたいこと」を3つすら書けない人もいます。私がかかわってきた多くの不登校児や、指導先の企業内でメンタルヘルスのバランスを崩してしまった人たちは「やりたいこと」を1つも書けない人がたくさんいました。

 本来は、やりたいことをたくさん持っていたであろうに、家族の環境や、学校の環境や、職場の環境や、いろいろなものが影響し、自分で「あれをやってみたい」と感じることすら忘れてしまっていたり、気づけなくなってしまっていた人たちでした。

 そんな人たちは、心の底にある感性をフタで閉じてしまっています。無理にやりたいことを考える必要もありません。

 でももし、「あ、ちょっとこんなことをやってみれたらいいなぁ」と思ったら、それを正直に書いてみましょう。

 初日は0個かもしれません。数日たってやっと1個出てくるレベルかもしれません。「もっと寝たい」でもいいのです。なんでもいいから「want」で思ったことを書いてみましょう。

 あるとき3個書けるようになり、あるとき10個書けるようになり、あるときわずかな時間で20個書けるようになることでしょう。

 ガマンさせていた感性がよみがえり始めるのです。

 ですからあせらず、「やりたいこと」が浮かんだら、すぐにノートを開いて、書いてみることを実践しましょう。

 


〇実は、あなたの「やりたいこと」の7割は今できる

 
 やりたいことを書くときは「こんなことを思っていいのだろうか」「できるだろうか」「正しいだろうか」「他人にどう思われるのだろうか」なんて余計なことは一切考える必要はありません。

 あなたの心の欲求を、聞いてあげることが大切だからです。

 たとえば、「新しくできたあのラーメン屋に入ってみたい」「窓枠を掃除したい」「缶コーヒーを飲みたい」「○○の本を読みたい」「テレビ番組の○○を見たい」「アイスを食べたい」「渋谷に行きたい」「もっと寝たい」…こんなレベルで良いのです。

 こんなものでも、積もり積もって100個くらいになったときに、「あぁ、自分はこんなにやってみたいと思っているのにやってなかったことがたくさんあるんだなぁ」と気づくはずです。

 そして改めてやりたいことリストを見ると、きっと多くのことが「スグできること」なのです。5~7割くらいがスグにできてしまうことなのです。

 


〇3つのサイクルで成功をつくる!


 やりたいことを書き出してみたら、できることからどんどんやってみてください。

 できるだけ早く「実際にやってみる」のです。実はこれが大変重要な作業なのです。

1「やりたいことがあるので」→2「書いてみると」→3「実現した」というサイクルを身につけるのです。

(p79)

 

 

やりたいことが7割できると初めから決まっているなんて、ちょっとワクワクしてきます。

 

③=「今日のできごと」は、「何があったか」だけではなく、「どう感じたのか」という感情も書く。

 

④=「今日の感謝」を思い出すために。

 

「電車の席を詰めてくれたので、座ることができた」「上司におごってもらった」「商品を買ってくれた人がいた」「給料が無事に振り込まれていた」なんてレベルからでいいのです。

 なんでもいいから「感謝できることに焦点を合わせる」ということが大切なのです。

 今日の感謝を毎日書き続けると、日頃から感謝に気づく習慣が身についていきます。

 実は誰でも生きている限り、毎日感謝することが山ほどあるのですが、多くの人は感謝のレーダーがさびついてしまっていて感謝を見つけられないのです。

 これも続けていくと、不思議なことに自分の周りには感謝することがあふれていることに気づいていきます。

「社員が頑張ってくれていることに感謝」「会社に感謝」「ご飯を食べられることに感謝」「この世に生まれてきたことに感謝」など、ありとあらゆることに感謝し始める人も少なくありません。

 感謝できないときというのは、不満で頭の中がいっぱいです。不満をたくさん抱えている限り、仮に成功できても、心安らかになることはできません。

(p89)

 

 

⑤=「成功法則・学びの言葉」とは、自分で、自分の人生の攻略本(テレビゲームの発売に伴って発売される、そのゲームをする上での有利な情報や、隠れた裏技が書かれた本)を作ってしまうこと。成功の法則が見つからないときは、たまたま読んだ本や雑誌、電車の中で耳にした会話などから、自分だけの「名言集」を作る。

 

○あなただけに当てはまればいい!


 この項目には、その日にあなたが発見したり考えついた「あなた独自の成功法則」を記録しておきます。

「成功法則」と言っても難しく考える必要はありません。単純なこと、一見バカバカしいと思えることで構いません。

 自分なりの「良い結果を出した方法」「モチベーションが上がった方法」などについて、自分なりの法則を書き出してみましょう。

 一例として指導先の会社の社員さんと子どもが書いた「自分だけの成功法則」をご紹介します。「こんなものが成功法則?」と思われるものがありますが、これでいいのです。

 人の人生はそれぞれだし、攻略方法もそれぞれなのです。

 


【ある社会人の成功法則】

・自分は柿を食べると元気が出る

・朝食を抜いたら頭がスッキリして疲れが抜けた

・やるべきことを全部書き出してからやったら結局時間短縮になった

・朝、二度寝をせずにすぐ起きるとその日はスケジュール通りに進む

・優先順位も考えずに、手に触れた書類から仕事を片づけると能率がいい

・鏡に向かってニッコリすると気持ちがいい

・悲しいときは中島みゆきの音楽を聴くと落ち着く

・正座すると集中できる

・髪をあげて出社すると流刺爽と仕事ができる

・5本指ソックスをはくと気持ちがいい

 


【ある子どもの成功法則】

・塾に行く前にチョコレートを食べると集中力がアップする

・学校の掃除をさぼらないで一生懸命やると、塾でヤル気が出る

・勉強のとき、足を床につけると集中力が2倍になる

・先生から宿題を出されたときに「えーっ!」「できなーい!」とか言わないようにするとヤル気が出る

・英語のテスト前は、1つの単語を必ず7回ずつ書いて声にも出してみると、単語テストで100点とれる

・毎月15日の給料日にお母さんにお願いごとをすると聞いてくれる

・夫婦げんかが始まったら自分の部屋に避難すると良い

 


 いかがでしょうか?

 中にはジンクスのようなものもありますが、それでも一向にかまわないのです。他人にはまったく当てはまらなくても、自分だけの「成功法則」なのですからそれで良いのです。(p93)

 

 

「給料日にお母さんにお願いごとをする」が可愛い。

こういうジンクスを持っている人は多そうですが、辛いときほど意外と忘れていそうな気もします。

 

その他、日記を書く上でのヒントとして、以下のような考え方が紹介されています。

 

〇お金をコントロールするために。

 

 独立した経営者や起業家ならともかく、サラリーマンやOLをやっている限り、収入を増やすということは勤続年数や年齢によって決まっている人がほとんどでしょうから、お金を貯めようとしたら支出を減らしていくしかありません。

 そのときに、理性の「should」と「must」だけで、「1カ月の食費を○円以下にしよう」「お小遣いは○円にしよう」などのように考えてもなかなかうまくいきません。

 この場合もやはり上手に感性を使い、そのうえで理性でしっかりと意志を強く持つことが「お金のコントロール」を上手にできるようになる秘訣です。

 「いくら貯めたい」という「I want」も良いのですが、もっといい方法があります。

 それは「○○をしたい。それにはお金がいくらかかる」というように「夢と使いたいお金を全部書き出す」のです。

 それをすると、無駄遣いをする気がなくなってきます。大好きなことをやるためなら、人間の感性は理性を使って上手に節約をし始めるのです。

 お金を貯めたいのなら、まずやりたいことをすべて書き出し、必要なお金を書き出してみてください。

 そして現在の収入や貯金と、今後の収入の予定などを勘案し、1.収入を増やす計画、2.支出を減らす計画、3.やることを減らす計画  などを立てていってみてください。

 支出を減らすことができると、「最悪な場合、収入がここまで減るような出来事が起きてもなんとかなる」と思えて、心に平穏がやってきます。

 それが不明なままだと、不安を抱え続けることになってしまうのです。

(p116)

 

 

 「○○をしたい。それにはお金がいくらかかる」という考え方は、目標達成のための近道であるように思います。

語学学習を始めるときに挙げがちな、英語ができるようになりたい、という目標を掲げるのではなく、英語を使って何をしたいのか?を考えることに似ているような気がしました。

 

〇幸せになる「コミュニケーション術」

 
 人間関係で愛情に包まれているときというのは、どんなときでしょう。

 私は、今までに多くの経営者が社員教育をしているのを見てきました。また多くの親が、大切に子どもを育てていることにもかかわってきました。さらに多くのスポーツの団体にもかかわり、指導、教育しているところを見てきました。

 どこの指導者も、熱心で情熱的な人たちでした。そんな人たちだからこそ、私を必要としてくださったのでしょう。

 でも、なかなか人が育っていかないことに苦しんでもいました。多くの教育現場にたずさわり、教育の世界に身をおき、あるときから確信していることがあります。

 それは、愛情と信頼が根底になければ、人をしつけたり、教育することはできないということです。愛情を感じなかったら、しつけと称して、ルール「should」を押しつけられても嫌ですよね。

 では、さらに突っ込んで、「愛情ってなんだろう?」と考えると、これも今の私にはわかりやすい公式があります。

 それは「愛情=理解+応援」なのです。多くの場合は、次の2つのどちらかになってしまっています。わかりやすく子どもを例にお話しします。

 

①親が子どもをいつも理解している。でも現状肯定だけで応援していない

②親が子どもをいつも応援している。でも子どもの気持ちを理解していない

 

 の2タイプです。親が理解してくれていない状態で「頑張れ!頑張れ!」と言われても、苦痛でしかありません。

 逆に理解はしてくれていても、「今のままでいいんだよ」だけでは、人は成長することはできません。子どもたちが十分に満たされて、スクスクと伸びていっているケースでは、理解と応援がセットであるのです。

 私は、「ありがたいなぁ」と思うことがあります。今の私には、何かあったら、100%腹を制って、100%の自己開示をして相談をできる人が何人かいます。文字通り、北海道から沖縄までいます。

 こんな素敵な人たちと会えたなんて、本当に嬉しいです。

 自分を知ってくれている人がいるというのは喜びです。

 この人たちは、私が自分勝手に生きているにもかかわらず、そしていつも迷惑をかけいるにもかかわらず、いつも自分のことを「理解し」「応援して」くれているのです。

 今は何も結果を出せていなくても、ちゃんと自分を信じてくれている人がいると、あせらずに、日常を張れます。

 今、自分自身はいったい何人の人のことを「理解」し、「応援」しているのだろうか?と自問自答すると、自分はたくさんの人に理解と応援をしてもらっているくせに、自分のことばかりで、あまり他人の理解と応援をしていないことに気づきます。

 まず、身の周りの数人からだけで良いので、どんなことがあっても「理解」と「応援」をしてみましょう。理屈ではありません。感性を使います。自分がたくさんの「理解+応援」ができるようになったとき、たくさんの人との縁を結ぶことができ、人間関係で安心した状態を得ることができるようになるのです。

 
 あなたは今、家族のみんなを理解と応援ができていますか?

 あなたは今、会社の仲間の理解と応援ができていますか?

 あなたは今、上司の気持ちの理解と応援ができていますか?

 あなたは今、部下の気持ちの理解と応援ができていますか?

 あなたは今、恋人の気持ちの理解と応援ができていますか?

 あなたは今、お客様の気持ちの理解と応援ができていますか?

 

 

 日記を通し、自分の周囲の多くの人の立場になって、理解と応援ができたとき、幸せの大きな要素である人間関係が改善されていくのです。(p131)

 

 「自分はたくさんの人に理解と応援をしてもらっているくせに、自分のことばかりで、あまり他人の理解と応援をしていないことに気づきます。」

耳が痛い言葉でした。

 

〇感性優先!理性は後回しに。

 

 子どもは「テレビゲームをやりたい」と思ったら、親が禁止しようが、親の目から隠れてゲームをやってしまいます。大人でも、自分の大好きなことは、どんなに忙しくてもやってしまうものです。

 感性で「want」と感じたこと、「やりたい」と思ったことは、人は先延ばしがなかなかできません。

 逆に、理性で「should(やらねばならぬ)」と思ったことは、意外と先延ばしにしてしまうことが多いのです。

 自分の行動を速めたいと思ったら、いかに「やりたい」という「I want」を引き出すかです。

(p169)

 

いかにして、「やらねばならぬ」から「やりたい」を引き出すか。

難しそうですが、確かにこれが変換できたら、何事にもすぐに取り掛かれそうです。

 

 〇怒りの原因。

 

 「怒り」というのは、どういうときにわいてくるのでしょう。多くの場合は次のときに怒りを感じるようです。

 怒りは「不安」「恐れ」からやってくる。

 どんな不安や恐れからくるかと言うと、「壊される」「奪われる」「失う」などからやってきます。

 それはどんなものかと言うと、自分のルール、自分のやり方、人間関係、チャンス、プライド、組織、大切な人、金、資産、時間…などを「壊される」「奪われる」「失う」ときに起こる無意識な「不安」や「恐れ」からカチン!がやってくるのです。

 小さなカチンというのも、実はこのような恐れが根源にあるのです!

 あなたも「カチン」ときたときに、怒りを無理やり封印してしまうのではなく、「あれ?今、自分は何を恐れたのだろう?」と心の中を精査してみると良いでしょう。

 怒りは、あなたを成長させるために気づかせてくれる大事なシグナルなのです。

 


〇人生のルールを変える!

 

 「怒りはどこからくるのか?」というと、「自分の秩序を壊されるとき」です。

 誰もが、普通はこうだ、自分のやり方はこうだと思うルールや秩序を持っています。

 いろいろな経験を積み、たくさんの成功をおさめてきた人ほど、多くの失敗もしてきていますから、「本来、こうあるべし」という無意識のルールを多く持っています。

 そのルールや成功法則をたくさん持っているからこそ、上手に成功してきたわけです。ですから、経験不足の人間などを見ると「わかってないなー」などと見下したり、カチンとくる場合があるのです。

 親が子どもを叱る場合も同様です。親は生きてきた中でいろいろ「こうあるべし」というルール、秩序を持っています。

 ですから、子どもがそのルールに外れていると怒ってしまうのです。

 自分が何かをやるときに、自分独自の成功法則を誰もが持っていて当然です。

 ですが、その自分の中の秩序や規範やルールを、勝手に相手に対して求めているのが実情です。それでカチンときているのです。

 自分の生き方に自信を持っている人でもカチンとくるわけです。他人の秩序を勝手に押しつけられたら、誰でも嫌です。

 だから、自分の秩序を他人に押しつけている毎日をしていないかを精査する必要があります。

 ただし、目標に向かってまっしぐらなときや、同じ秩序を共有できない人に対しては怒るのではなく、別れるのが良いと思います。

 同じ目標を追うのなら、共有の秩序が必要となります。それなのに、「同じ目標を追いたいけど、違う秩序がいい」ということはありえないからです。

 

(p179)

 

「怒りは、あなたを成長させるために気づかせてくれる大事なシグナルなのです。」

そう考えると、怒りも必要な感情なのだなと思うのですが、いざカチン!と来ると、瞬間湯沸かし器のようになってしまいます。難しいです。

 

 〇恐れを大事にしよう。

 

 誰でもいろいろな恐れというものを持っています。「何を恐れるか」というのは人によって違います。

 敵を恐れる人、味方を恐れる人、貧乏を恐れる人、病気を恐れる人、不安定を恐れる人、安定を恐れる人、動物を恐れる人、人間を恐れる人、人とのコミュニケーションを恐れる人、コミュニケーションがなくなることを恐れる人、上司を恐れる人、社員を恐れる人、失敗を恐れる人、不安を恐れる人、怒られることを恐れる人、クレームを恐れる人、孤独を恐れる人、知ることを恐れる人、知られることを恐れる人、発覚を恐れる人、けんかを恐れる人、対立を恐れる人、幸せになることを恐れる人、叱られることを恐れる人

 
…など、いろいろな恐れがあります。恐れは人を萎縮させます。恐れを持っている限り、萎縮からは解放されません。

 恐れを除く方法は「自らの行動」しかありません。どんなに頭の中で考えても、恐れから解放されることはありません。

 目や耳をふさいでいたところで「逃げるものには追いかけてきてつきまとう」ものなのです。

 周囲が気を使ってもあなたの心の中の恐れは、あなたしか消すことができません。

 恐れを除くには、逃げずに行動し、正面からぶち当たる行動をすることです。そうすると恐れのほうが逃げていきます。

 もし失敗しても、逃げ続けるより最悪の結果になることはありません!何度もそういうことを重ねて、恐れは小さくなっていくのです。

 恐れは、自分が何を弱点と感じてしまっているかを気づかせてくれています。何に苦手意識を持っているかを気づかせてくれます。

 恐れがあるとき、逃げたくなっているというときは、自分が成長するチャンスです。

 まず、日記で正直に「今、何について恐れているのか、逃げ出したくなっているのか」と書いてみることです。恐れている自分を恥ずかしがらず、認めることです。

 何について恐れているかに、気がつくだけですごいことなのです。普通は気づかないまま、無意識に逃げ続けているだけですから。

 自分が恐れていたことに気づき、日記に書くだけで、「自分がわかってくれた」と自分が喜び、一歩前に進み始めるのです。

 無意識に恐れていたことを知ることで、克服するきっかけになります。もしくははっきりと恐れを知ったことにより、近づくのをやめるようになるかもしれません。

 どちらにせよ、潜在的な恐れを、はっきりと自覚することによって、前に進んでいけるようになるのです。

(p189)

 

 

「目や耳をふさいでいたところで「逃げるものには追いかけてきてつきまとう」ものなのです。」とのことですが、後から考えるとそういうことだったな、と思うことがあります。

怖いと思う自分を認めること。出来そうでなかなか出来ないことだと思います。

新しい年が始まったことだし、気楽に始めてみようかなという気持ちになっています。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

佐藤富雄『愛されてお金持ちになる魔法の言葉』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

佐藤富雄『愛されてお金持ちになる魔法の言葉』を読みました。

 

■勝ち組遺伝子をONにする方法


「自分には、生まれたときからすでに、望むことを全部かなえる力が備わっていた」

と心から納得すると、まるで当たり前のように、思いどおりの人生を歩めるようになります。自分の頭だけで考えて望みをかなえようとするのではなく、もっと大きな力がはたらくようになるからです。

 そう、勝ち組遺伝子にまかせて生きると、人生は面白くてたまらないものになっていくのです。どこでどのように道が開けるのか、心配する必要などまるでなくなります。むしろ、いくら頭で考えても答えは出せないのです。道が開けるのは、ある日突然、思いがけない方角から、答えがやってくるからです。

 そんな素晴らしい状態を保つために、ぜひ心がけてほしいことがあります。それは、脳と心と身体をいつも「快」にしておくことです。

 幸せな気分、爽快な気分、満たされた気分、こうした「心地よい感情」に満ちあふれた状態をひとまとめにして、私は「快」の状態と呼んでいます。

「素敵な恋をしたい」「強く深く愛されたい」「お金持ちになりたい」「幸せな家庭を築きたい」、というように、幸福を求める気持ちの対象は人それぞれですが、誰もが「快」を求めているのだ、と考えてください。脳と心と身体をいつも「快」にしておく、という言葉の意味がぐんと身近なものに感じられるでしょう。

 あなたが本気で「快」を求め続け、いつでも「快」の気分になっていると、勝ち組遺伝子のスイッチがONになります。逆に、「ダメ」「イヤ」「ムリ」というような不快な気分でいると、スイッチがOFFになってしまうのです。

 

■勝ち組遺伝子の天敵 ―ストレスの撃退法

 

 また、ストレスも大敵です。たとえば、過去の悲しかったことや苦しかったことを思い出していると、頭の中にある悲しみや不安が、現実の苦痛となって身体にあらわれてきます。ありもしないことをくよくよ悩んだり、三年先、五年先のことを心配していても、今まさにその心配事が起こっているかのように、身体に悪い反応を引き起こします。

 そういった反応はすべて、本人がはっきりと自覚しないままに、自律神経系が勝手に引き起こしてしまうのです。典型的な例として、心理的なストレスによる胃潰瘍が挙げられます。

 つまり、ストレスがあると、いくら本人が「快」を求めていても、身体を「快」に保つことができないのです。脳と心の「快」の状態も、簡単に崩れてしまいます。

 ストレスをやっつける一番の方法は、楽天主義でいくことです。楽天主義楽天家と聞くと、「のんき」「おめでたい人」という面ばかり強調されがちですが、決してそうではありません。

 楽天主義とは、自分で自分を元気づける能力のことです。

 何があっても、しぶとくがんばれる能力のことです。

 楽天家は、つねに自分の気持ちをうまく整え、感情の乱れに押し流されません。本来持っている能力や才能を、とことん発揮できます。

 楽天主義をとれるかどうかで、人生における効率や満足度が決まります。

(p91)

 

 

望んだことがかなうかかなわないかはさておき、「自分の気持ちをうまく整え」られるのなら、それだけで日々だいぶ穏やかな気持ちで過ごせそうです。

 

■お金持ちになろうとしない男、ワリカン男は?

 

 夢を思い描けない男、夢を否定する男というのは、人生全般に対して後ろ向きです。仕事やお金に関することも、「どうでもいいや」といったところです。

 それでも、「男は黙って実行あるのみ」「夢は語るものじゃない、実現していくものだ」という人もいます。それならそれでよいのですが、同じ夢を実現していくのなら、言葉にして語ったほうが、その夢はぐんと大きなものに育っていきます。夢を実現するスピードも早まります。

 ですから、照れてばかりいないで、どんどん夢を語るほうがいいのです。特に、お金に関する夢ははっきりと口に出すべきです。そしてまた、行動でも示していくべきです。

 というのも、夢はあってもお金持ちになろうとしない男もいるからです。そういう男はたいてい、人におごられても平気な顔をしています。「ご馳走になりました、ありがとうございます」と、きちんと礼を述べられる男でなければ、人にもお金にも好かれません。

 また、資金が十分でないのに女性をデートに誘い、お金を支払わせているような男、ワリカンが当たり前だと思っている男も、はっきり言って見込みがありません。

 そういう男は、自分の夢はかなえたいが、周囲も幸せにできるような金持ちになるという意志に欠けています。おそらく、そこそこの夢をかなえて自己満足し、成長を止めてしまうでしょう。

 大きな夢を抱き、語れる男というのは、お金に野心を持っています。良い金銭観を持ち、お金に対して大きな欲望を持っているからこそ、大きな夢を抱けるのです。

 

    そういう意識で生きていると、人におごられてばかりいるのが苦痛になります。ましてや、恋人である女性に金銭面で頼るなど、自分で自分の夢を否定するようで、とてもできません。

「人にご馳走するのが習い性の男は出世する」、そう憶えておいてください。

 これは決して、男は女よりも優れているとか、偉いということではないのです。

 男性以上に仕事の能力があり、男性以上にお金を稼げる女性はたくさんいます。

「だから女が男を養ったっていいじゃない」と思っている女性もいるでしょう。

 それは、個人の自由です。ただし、そのために相手の男性のことが尊敬できなくなったり、不満を感じるようになったとしたら?

 経済的な事情でふたりの仲がしっくりいかないとしたら?

「一人の独立した人間として、どんな男も経済的にしっかりするべきだ」と言えないでしょうか。

 私なら、「男が金持ちになろうとしないのは論外」、と考えます。女性にお金を払わせる男も、問題外です。「男に貢ぐ女性が男をだめにするのではなく、だめな男だからそうなっている」からです。

 男性も女性もともに、良い金銭親を持ち、お金に対する良い願望を養っていきましょう。

 どんな金銭観を抱くかによって、その人の生き方が変わります。

お金に対してどんな欲望を持つかによって、その人の経済スケールが決まってきます。そして、どれだけのお金を手に入れるかによって、人生の幸福や充実度が決定的に左右されます。

 


■覚えておきたい知識

 

・初対面で「なぜか好きになれない」と感じる相手は、あなたの勝ち組遺伝子が拒絶しています。

・夢を語れない男、他人を否定する相手は、あなたを本当に幸せにすることはできないでしょう。

・人にご馳走をするのが習い性の男は出世します。(p114)

 

 

 ワリカンについてはもちろん人それぞれでいろいろな考え方があると思うのですが、まあそんな考え方もあるか、ということでご紹介しておきます。

 

 ■どうすれば、うまくイメージできるようになる?

 
 もしあなたが、より良い未来をイメージできないと感じているなら、そこには何かしら、想像力をブロックしている障害物があります。その障害物を取り去るには、堂々めぐりの思考をストップし、身体で行動していくことです。考えることをやめて身体を動かしていると、意外にもスッといい答えが見つかります。

 たとえば、十五分程度のジョギング、あるいは、水泳、ダンス、テニスなど、ひたすら目前のことに集中して身体を動かしていると、とてつもない着想が生まれる場合があります。

 何かに夢中になって思いきり集中すると、一気にストレスを解消できるからです。ある一点に集中するとかえってストレスをためてしまうのではないかと心配する人も多いのですが、実際はその逆です。集中の山が高いほど、リラックスの谷も深くなります。

 脳の疲労をこまめに解消し、集中とリラックスの度合いを深める。これが、想像力を高めるコツです。(p142)

 

■覚えておきたい知識

 

・自分の好きなところをリストアップして読み上げましょう。悪い考えぐせが良い方向に転換されます。

・世界一の女性(あなた)にふさわしい、理想の男性像を決めましょう。理

想の男性が引き寄せられてきます。

 

・「愛されて満ち足りている」シーンを、頭の中で映画を観るように思い描きましょう。

彼の肌触り、あたたかさまで感じられるようになると、夢が現実になっていきます。

・うまくイメージができないときは、考えるのをやめて身体を動かしたり、メイクを変えるなど、いつもと違う行動をとりましょう。

・あこがれの人物になったつもりで考え、行動してみる。この「なりきり」という手法は、とても高い効果があります。

・「彼もお金も大好き」と、一日に何回も声に出して言いましょう。

さらに、この言葉を他者に向けて言えるようになると、ますます効果は高まります。

・将来の夢や希望はすべてかなう、と断言する「アファメーション」をつくりましょう。

・ほめ言葉は、ほめられた人より、ほめた人自身がその恩恵を受けます。

・「もしも素敵な男性がいたら」「もしもお金があったら」と、現在を否定するような言葉を選んではいけません。

・眠りにつくひとときは、ふだんの何倍もの集中力を持って、自分が口にする言葉を脳に言い聞かせることができます。

・不安や心配が浮かんだら、即座に「毒消し言葉」で打ち消しましょう。


(p162)

 

 

「ほめ言葉は、ほめられた人より、ほめた人自身がその恩恵を受けます。」というのが好きです。

本書を読み進めながらも、タイトル通りのうまい話があるだろうか?という気持ちも、ちょいちょい浮かばなくもないですが、頭の中で考えたり、誰に見せるでもない日記的なものに書くだけなので、誰の迷惑になるわけでもないし。と思い直しました。前向きな気持ちになれるだけでもいいかなと思います。

 

アファメーション(なりたい自分にふさわしい文言をつくって、何度も言ったり、見たり、聞いたりすることで、自分自身に健全な「思い込み」をつくること)をやってみたいけど、具体的にどういう文章にすればいいんだっけ?という時にも役立つかもしれません。

 

アファメーションというものがどんなものなのかについては、こちらのサイトが分かりやすいです。

 

life-and-mind.com

 

外出する機会が少なくなり、塞ぎがちな気分になることもありますが、せめて心の中だけでも好転させてくれるといいですね。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

 

中野ジェームズ修一『下半身に筋肉をつけると「太らない」「疲れない」』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

中野ジェームズ修一『下半身に筋肉をつけると「太らない」「疲れない」』を読みました。

 

筋トレのモチベーションアップになるといいなと思って、手に取りました。

 

■正しい姿勢をしようと無理すると、かえって逆効果。

美しい姿勢を30分キープ。で、見違える。

 


    正しい姿勢を保持していれば、自然と筋肉が鍛えられると思われがちです。これはたしかに一理あるのですが、無理に姿勢を矯正し続けることによる問題も出てきます。関節に負担がかかりすぎてしまい、「痛み」としてさまざまな弊害が生じるのです。

    そのため、最近では整形外科医も私たちトレーナーも、無理に姿勢を矯正するのではなく、普段は自分の楽な姿勢でいいので、30分程度正しい姿勢を保つようにしましょう、とアドバイスすることが多くなっています。

 
  また、正しい姿勢を無理なく保てるよう、サポートをつくってあげるのも有効です。私がおすすめしているのは、バランスボールミニ(直径20㎝ほどのゴムボール)を姿勢のサポートとして、椅子の背もたれと背中の間に挟む方法です。

    これだと、さほど無理しなくても背筋が伸びてある程度の時間は、正しい姿勢を保つことができます。

 

 

普段猫背気味の自分には、30分綺麗な姿勢を意識するのも、結構気を遣うと思いました。 ゴムボールはやってみたいです。

 

■体温も筋肉で変わる


 これまで、健康なからだをつくるのも、太らないからだをつくるのも「筋肉」が重要な役割を果たしているとお話ししてきました。このほかに、筋肉は体温維持、向上にも力を発揮しています。

 私たちのからだは、自律神経のはたらきによって常にだいたい37℃の体温に保たれるようになっています。気温は37℃よりも低いのに、この体温を保っていられるのは、自分自身で熱を生み出し、体温を一定にコントロールしているからです。この「熱を生み出す」という役目において、いちばん貢献しているのが筋肉です。

 

 体内の熱生産の約6割が筋肉。残りの2割は肝臓や腎臓、2割は褐色脂肪(エネルギーを燃やす細胞)となっています。肝臓や腎臓は自分の力ではどうにもできませんが、筋肉量だったら努力次第で増やすことができます。しかも、6割も占めているのです。

 ということは、筋肉量が減ってしまうと、熱を生み出す力が衰え、体温を維持することが難しくなるということは想像ができると思います。

 冷え性の人や、普段から平均体温が36℃を欠けるような人は、総じて筋肉量が少ない場合が多いのです。体温を上げる、冷え性を改善するために、いちばんに取り組まなければいけないのは、「筋肉量を増やすこと」です。

 

 

筋肉量が少ないと、冷え性を起こすというメカニズムに納得しました。

しかも、家の体重計に筋肉量が表示されていたのに、これまで大して見ていませんでした。増減を気にするようにしたいです。

 

■果糖がカロリーオーバーになる

 

 動物性たんぱく質を摂らない「菜食主義」と同じように、フルーツを食事のようにして食べ、ほかの栄養素を極端に摂らない人たちのことを「果物主義」と呼ばれているのですが、私のまわりにも少なくありません。

 割合年齢の高い方々に多く、果物を毎食後食べないと、気が済まない人たちです。

 おそらく、戦後に果物が高級品でなかなか食べられなかった時代を子どもの頃に経験してきたからなのでしょう。「果物はからだにいいから」「ビタミンCが豊富だから」「ヘルシーだから」と、みなさんおっしゃいます。

 しかし、日本人に不足している栄養素はビタミンCではなく、唯一カルシウムだけです。

 決して、果物を食べることがよくないわけではありません。果物にはビタミンやミネラルが豊富なだけでなく、食物繊維も多いので血糖値の上昇を抑えるはたらきもあります。食後は、血糖値が急上昇します。したがって、食後のデザートに果物を食べるということは理にかなっていると思います。しかし、果物には果糖という糖分が多く含まれているので、1日の総摂取カロリーに照らしてみたときに、たくさんの種類の果物を食べることでカロリーオーバーになっていないかを考えてみる必要があります。

 1日のうち、食後の果物は1回だけで十分です。りんごやなし、グレープフルーツなどなら1日1個、オレンジ、みかん、キウイなら2個まで。バナナなら2本までが適量です。

 

バランスよく食べているつもりでも、過剰なものがあったりして、難しいですね。

旬の果物があるときなど、朝も夜も食べている日もあるな、と反省しました。

 

■ キビキビ歩きで、いつもの1.5倍のカロリー消費。

 時速7キロで歩く。

 

 「走るよりも歩いたほうが消費カロリーが高い」と聞いたことがないでしょうか。

 ちょっとした歩き方の工夫で、走るよりも効果的に消費カロリーを上げられます。

 「歩く」と「走る」の境目は、時速約8kmだといわれています。たとえば、ランニングマシン(トレッドミル)で時速5㎞ぐらいの歩くペースから始め、徐々にスピードを上げていきます。するとやがて、もう歩くのは限界、走ったほうが楽だという速さがやってきます。それが、時速約7㎞を超えたぐらいなのです。

 ランニング初心者の方に「どれくらいのスピードで走ればいいですか?」と質問されたときに答えるのが、この「時速7~8kmペース」です。個人差はありますが、それが人間にとって、いちばん負担なく楽に走れるスピードだからです。

 ということは、その一歩手前、時速7㎞程度まではがんばれば歩けるペース。歩こうと思えば歩けるのに走ってしまうと、今度は逆に楽になるので消費カロリーが減ってしまいます。つまり、すべてにおいて「歩く」よりも「走る」ほうが消費カロリーが高いとはいえないのです。あなたが「走るのは苦手」というのであれば、「歩くのが限界」というペースでキビキビ歩きをしましょう。背筋を伸ばし、大股で、息がはずむぐらいのスピードで。走らなくても、スローランニングと変わらない有酸素運動の効果があり、カロリーもランニングより多く消費できます。

 また、ランニングはどうしても膝(しつ)関節や股関節に負担がかかります。筋力がない人が、いきなり走って関節を痛めてしまうことのないよう、キビキビ歩きから始めるのもいいでしょう。

 往復の通勤に1日5~10分、人によっては30分以上歩いている人もいると思います。

 その時間をトレーニングと考え、キビキビ歩きに切り替えてみませんか。それだけでふつうに歩くよりも、約1.5倍は消費カロリーがアップします。

 

 

震災のあとから、仕事場への行き帰りの靴をランニングシューズにしたのに、この頃は在宅勤務の前の日に持ち帰るPCが重くて結構タラタラ歩いていました。もうちょっと頑張ってみたいと思います。

 

■脚をきれいに見せる下半身の”ゆる筋トレ”

太ももの裏側とおしりの筋肉をケアする。

 

 人間は、足腰の筋肉から衰えていきます。スクワットなどで筋力の衰えを補強するのは重要なことなのですが、太ももの前や外側の筋肉量が増えると、どうしても脚が少し太く見られがちになってしまいます。

 また、スクワットやランニングなどもそうですが、正しいフォームが習得できていないと、太ももの前の筋肉(大腿四頭筋(だいたいしとうきん))ばかり発達してしまうことがあります。

 足腰の筋肉で衰えやすい部分を強化しながら、脚がきれいに見えるようにするには、太ももの裏側のハムストリングスやおしりの筋肉である大臀筋を鍛えるのが効果的です。

 脚の筋肉量は増やしたいけれど、脚のラインをきれいに見せたいときには、からだの裏側にあるハムストリングス大臀筋を鍛えるエクササイズを取り入れましょう。

 

 

ランニングもスクワットも、いまいち正しいフォームに自信がないので、本書で図解されていた「ヒップエクステンション」をやってみようかなと思います。

 

まだまだ寒いので、肥満防止のためにも頑張ろうと思います。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

南沢典子『すっぴん美人の教科書』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

南沢典子『すっぴん美人の教科書』を読みました。

 

長時間マスクをしていると、肌荒れが気になるこの頃です。

何か良いアドバイス的な内容がないかと思って手に取りました。

 

■おやつについて

 

    ふだんの私のおやつは、油で揚げたり塩を振ったりしていない、タネ類やナッツです。

ひまわりのタネはとくに好きで、自宅に常備しています。歯でカリッと割れ目を入れたら、外側の皮は捨てて中身を食べます。手に入りやすいものでは、アーモンドやクルミもよく食べています。ビタミンEが豊富で抗酸化作用も高く、血液がサラサラになります。少し刺激が強いので、1日に食べる量は片手に軽くひと握り程度までにしています。

    この習慣を私にすすめた中医学の先生のお肌は、ツルツルでたるみがなく、ピーンと張っています。外側からのスキンケアは何もしていないそうですが、実年齢より数十歳は若い肌年齢に見えます。

    中国の若い女性も肌がきれいな方が多いですね。中国で「アイスクリーム食べない?」と女の子たちを誘惑しても断られます。体を冷やしたり乳脂肪の高い食品を摂らない習慣が染みついているのだと感心しました。ただ、上海や北京など近代化が進んだ都市部では、ここ10年で女性達の肌の変化を感じます。諸外国と同様にファンデーションなどの化粧をする人が多くなり、肌荒れやニキビに悩む女性が増えたようです。(p88)

 

 

肌をきれいにしようと考えるなら、食生活を見直すことが不可欠だと思わされる文章です。

本書には他にも、季節ごと、悩みごとに、摂ると望ましい食品が載っていて、食べるものをおろそかにしてはいけないという気持ちになります。

 

■風邪気味のとき

 

    私はめったに風邪をひきません。ごくたまに熱が出ても、朝あった熱がお昼には下がってしまうのです。起きたら体が痛い、頭も痛い、熱もある、という状態のときでも市販薬は服用しません。しょうがをすって熱いお湯で薄めたら、はちみつと混ぜて一気に飲みます。その後「よし!」と気合いを入れて眠ると、私の場合はお昼すぎには熱が下がって元気になります。

 (p89)

 

 

風邪を引きやすい上にすぐに市販薬に頼ってしまう私には、とても羨ましく感じました。でも、食べ物の力でコンディションを調節できるなら、ぜひ取り入れたいです。

 

 ■全身で汗をかく

 

   脇の下や手、足の裏だけなど部分的に多量の汗をかくことは、中医学的に見るとよくないことです。体中からたくさん汗をかいて循環させないと、体液が濁ってしまうという考え方です。冷房で冷やされすぎて、または冬に体が冷えすぎて、少しも汗をかかない日が続く状態も同様です。

 全身の汗腺が開ききっていれば、汗と一緒に老廃物を大量に排出できます。日常のなかでできるだけ多くの汗をかける場面があるといいでしょう。

 でも、軽い運動をした程度では、なかなか全身からの汗は出にくいものです。汗をかきやすくするためには、体中の汗腺を開くためのステップを踏んでみてください。それは、運動前でも入浴前でも、温かい飲み物を飲むことです。「コップ1杯の水を飲むとよい」と聞くこともありますが、水では体に吸収されて排出するまでに時間がかかってしまいます。早く汗を出すためには白湯がいいでしょう。普段から汗の量が少ない人は、銭湯や温泉にあるサウナを利用してみましょう。

 汗を出すのに効果的な入浴方法があります。あらかじめ洗面器の湯に塩水を溶かしてそれを体にかけ、タオルで軽く押さえる程度に拭いてから浴槽に入ります。浸透圧で、皮膚の表面にバーッと汗が噴き出してきます。

 こうすれば簡単に汗をかけて、体の水分を入れ替えることができます。私自身も以前から汗の量が少なく、激しい運動をしてもあまり汗はかかずに、顔だけが真っ赤になってしまう体質でした。それでもこの方法を続けることで、全身からたくさん汗をかけるようになりました。今まで出たことがなかったようなところからも大量の汗が出てきます。古くなった水分、体内に溜まっていた水が外に出ていって、気分もスッキリします。

 長い時間をかけて濁り水のように溜まった汗は、じわじわと毛穴の外に出てきて肌に密着します。これが春先の肌トラブルを起こす原因の一つにもなります。定期的に大量な汗をかくことで汚れも溜まらず、汗が不快な臭いを発することもなくなります。

(p104)

 

 

上記の入浴法は覚えておこうと思いました。

 

■過去へのこだわりをやめる

 

 昔はよかったと、若かった頃の自分を引きずっていると、どんどん今の自分がくすんでいってしまいます。過去は振り返らないこと。今の私はこうだから、では、どうやったらきれいに、素敵に見えるのか、憧れられるような人になれるのか、今の自分を見つめることが大切です。

 よく男性は、若い頃より0代、6代になったほうが格好いいなどと言われます。渋みが増すというか、落ち着きが増すというか、刻まれたシワの深さの分だけ、人間味も深くなるからでしょうか。でも、それは男性だけでなく、女性もきっとそうだと思うのです。女性はそのことにもっと自信をもてばいいのです。

 自分に自信を持つには、まずは気張らないことではないでしょうか。若い子を真似しようと思っても、絶対にギャップがあるので、内面で勝負です。私は仕事柄、毎日多くの人に会いますが、この人はいつも印象がいいなという人に出会います。化粧が上手とか、服装が素敵とか、そういう表面的な印象ではなく、その人が放つ空気感とか「気」のようなものに魅かれるのです。

 では、それはどんな人に多いのかをよくよく観察していると、自分のやりたいことをやっている人に多いのです。日ごろの生活の中では、きっとやりたくないこともやっているのでしょうが、そこはサラッと流して、時間を存分に楽しんでいるのでしょう。

 例えば自分の心地よい場所に出合えるとか、とても気の合う人に出会えるとか、さまざまなことを楽しんでできている人は、自分はこれでいいのだと、自分の個性を認めています。もしかして、人とはちょっと違うのかもしれないけれど、"自分は自分だ" と自信があるわけです。

  そうした時間の積み重ねを経て生まれる魅力が、ある程度、年齢を重ねた女性の美しさだと思います。それは化粧で肌をきれいに、若く見せることとは違う種類の美しさです。人と比べて自分がきれいかどうかなんて、どうでもいい。若い頃の自分がどれだけきれいだったかなんて、どうでもいいーー徐々にそのように思えたら素敵だと思います。(p156)

 

これはちょっと肌へのアプローチとは違うかもしれませんが、こういう内面的な考え方が、外見にも表れるのが不思議だなとよく思います。

 

数年前、それまで使用していたシャンプーで頭皮が痒くなり、ドラックストアで手に入るいろんなシャンプーを試したのですがなぜかどれもこれも痒く、困っていました。そんなとき、著者の会社で販売しているシャンプーを使ったところ痒みが収まって、以来愛用しています。

 

でも、特に著者の会社の化粧品を使用していなくても、美肌のヒントがあると思います。

 

また、かっさという道具について、今まで顔にしか使用しない物なのかと思っていましたが、頭や全身にも使えるということを本書で初めて知りました。かっさの選び方や使い方の図解も載っていたので、チャレンジしたいと思いました。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。