ニジタツ読書

読んだ本の感想です。胸に刺さった言葉をご紹介します。時々美術館のことなども。

佐藤富雄『愛されてお金持ちになる魔法の言葉』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

佐藤富雄『愛されてお金持ちになる魔法の言葉』を読みました。

 

■勝ち組遺伝子をONにする方法


「自分には、生まれたときからすでに、望むことを全部かなえる力が備わっていた」

と心から納得すると、まるで当たり前のように、思いどおりの人生を歩めるようになります。自分の頭だけで考えて望みをかなえようとするのではなく、もっと大きな力がはたらくようになるからです。

 そう、勝ち組遺伝子にまかせて生きると、人生は面白くてたまらないものになっていくのです。どこでどのように道が開けるのか、心配する必要などまるでなくなります。むしろ、いくら頭で考えても答えは出せないのです。道が開けるのは、ある日突然、思いがけない方角から、答えがやってくるからです。

 そんな素晴らしい状態を保つために、ぜひ心がけてほしいことがあります。それは、脳と心と身体をいつも「快」にしておくことです。

 幸せな気分、爽快な気分、満たされた気分、こうした「心地よい感情」に満ちあふれた状態をひとまとめにして、私は「快」の状態と呼んでいます。

「素敵な恋をしたい」「強く深く愛されたい」「お金持ちになりたい」「幸せな家庭を築きたい」、というように、幸福を求める気持ちの対象は人それぞれですが、誰もが「快」を求めているのだ、と考えてください。脳と心と身体をいつも「快」にしておく、という言葉の意味がぐんと身近なものに感じられるでしょう。

 あなたが本気で「快」を求め続け、いつでも「快」の気分になっていると、勝ち組遺伝子のスイッチがONになります。逆に、「ダメ」「イヤ」「ムリ」というような不快な気分でいると、スイッチがOFFになってしまうのです。

 

■勝ち組遺伝子の天敵 ―ストレスの撃退法

 

 また、ストレスも大敵です。たとえば、過去の悲しかったことや苦しかったことを思い出していると、頭の中にある悲しみや不安が、現実の苦痛となって身体にあらわれてきます。ありもしないことをくよくよ悩んだり、三年先、五年先のことを心配していても、今まさにその心配事が起こっているかのように、身体に悪い反応を引き起こします。

 そういった反応はすべて、本人がはっきりと自覚しないままに、自律神経系が勝手に引き起こしてしまうのです。典型的な例として、心理的なストレスによる胃潰瘍が挙げられます。

 つまり、ストレスがあると、いくら本人が「快」を求めていても、身体を「快」に保つことができないのです。脳と心の「快」の状態も、簡単に崩れてしまいます。

 ストレスをやっつける一番の方法は、楽天主義でいくことです。楽天主義楽天家と聞くと、「のんき」「おめでたい人」という面ばかり強調されがちですが、決してそうではありません。

 楽天主義とは、自分で自分を元気づける能力のことです。

 何があっても、しぶとくがんばれる能力のことです。

 楽天家は、つねに自分の気持ちをうまく整え、感情の乱れに押し流されません。本来持っている能力や才能を、とことん発揮できます。

 楽天主義をとれるかどうかで、人生における効率や満足度が決まります。

(p91)

 

 

望んだことがかなうかかなわないかはさておき、「自分の気持ちをうまく整え」られるのなら、それだけで日々だいぶ穏やかな気持ちで過ごせそうです。

 

■お金持ちになろうとしない男、ワリカン男は?

 

 夢を思い描けない男、夢を否定する男というのは、人生全般に対して後ろ向きです。仕事やお金に関することも、「どうでもいいや」といったところです。

 それでも、「男は黙って実行あるのみ」「夢は語るものじゃない、実現していくものだ」という人もいます。それならそれでよいのですが、同じ夢を実現していくのなら、言葉にして語ったほうが、その夢はぐんと大きなものに育っていきます。夢を実現するスピードも早まります。

 ですから、照れてばかりいないで、どんどん夢を語るほうがいいのです。特に、お金に関する夢ははっきりと口に出すべきです。そしてまた、行動でも示していくべきです。

 というのも、夢はあってもお金持ちになろうとしない男もいるからです。そういう男はたいてい、人におごられても平気な顔をしています。「ご馳走になりました、ありがとうございます」と、きちんと礼を述べられる男でなければ、人にもお金にも好かれません。

 また、資金が十分でないのに女性をデートに誘い、お金を支払わせているような男、ワリカンが当たり前だと思っている男も、はっきり言って見込みがありません。

 そういう男は、自分の夢はかなえたいが、周囲も幸せにできるような金持ちになるという意志に欠けています。おそらく、そこそこの夢をかなえて自己満足し、成長を止めてしまうでしょう。

 大きな夢を抱き、語れる男というのは、お金に野心を持っています。良い金銭観を持ち、お金に対して大きな欲望を持っているからこそ、大きな夢を抱けるのです。

 

    そういう意識で生きていると、人におごられてばかりいるのが苦痛になります。ましてや、恋人である女性に金銭面で頼るなど、自分で自分の夢を否定するようで、とてもできません。

「人にご馳走するのが習い性の男は出世する」、そう憶えておいてください。

 これは決して、男は女よりも優れているとか、偉いということではないのです。

 男性以上に仕事の能力があり、男性以上にお金を稼げる女性はたくさんいます。

「だから女が男を養ったっていいじゃない」と思っている女性もいるでしょう。

 それは、個人の自由です。ただし、そのために相手の男性のことが尊敬できなくなったり、不満を感じるようになったとしたら?

 経済的な事情でふたりの仲がしっくりいかないとしたら?

「一人の独立した人間として、どんな男も経済的にしっかりするべきだ」と言えないでしょうか。

 私なら、「男が金持ちになろうとしないのは論外」、と考えます。女性にお金を払わせる男も、問題外です。「男に貢ぐ女性が男をだめにするのではなく、だめな男だからそうなっている」からです。

 男性も女性もともに、良い金銭親を持ち、お金に対する良い願望を養っていきましょう。

 どんな金銭観を抱くかによって、その人の生き方が変わります。

お金に対してどんな欲望を持つかによって、その人の経済スケールが決まってきます。そして、どれだけのお金を手に入れるかによって、人生の幸福や充実度が決定的に左右されます。

 


■覚えておきたい知識

 

・初対面で「なぜか好きになれない」と感じる相手は、あなたの勝ち組遺伝子が拒絶しています。

・夢を語れない男、他人を否定する相手は、あなたを本当に幸せにすることはできないでしょう。

・人にご馳走をするのが習い性の男は出世します。(p114)

 

 

 ワリカンについてはもちろん人それぞれでいろいろな考え方があると思うのですが、まあそんな考え方もあるか、ということでご紹介しておきます。

 

 ■どうすれば、うまくイメージできるようになる?

 
 もしあなたが、より良い未来をイメージできないと感じているなら、そこには何かしら、想像力をブロックしている障害物があります。その障害物を取り去るには、堂々めぐりの思考をストップし、身体で行動していくことです。考えることをやめて身体を動かしていると、意外にもスッといい答えが見つかります。

 たとえば、十五分程度のジョギング、あるいは、水泳、ダンス、テニスなど、ひたすら目前のことに集中して身体を動かしていると、とてつもない着想が生まれる場合があります。

 何かに夢中になって思いきり集中すると、一気にストレスを解消できるからです。ある一点に集中するとかえってストレスをためてしまうのではないかと心配する人も多いのですが、実際はその逆です。集中の山が高いほど、リラックスの谷も深くなります。

 脳の疲労をこまめに解消し、集中とリラックスの度合いを深める。これが、想像力を高めるコツです。(p142)

 

■覚えておきたい知識

 

・自分の好きなところをリストアップして読み上げましょう。悪い考えぐせが良い方向に転換されます。

・世界一の女性(あなた)にふさわしい、理想の男性像を決めましょう。理

想の男性が引き寄せられてきます。

 

・「愛されて満ち足りている」シーンを、頭の中で映画を観るように思い描きましょう。

彼の肌触り、あたたかさまで感じられるようになると、夢が現実になっていきます。

・うまくイメージができないときは、考えるのをやめて身体を動かしたり、メイクを変えるなど、いつもと違う行動をとりましょう。

・あこがれの人物になったつもりで考え、行動してみる。この「なりきり」という手法は、とても高い効果があります。

・「彼もお金も大好き」と、一日に何回も声に出して言いましょう。

さらに、この言葉を他者に向けて言えるようになると、ますます効果は高まります。

・将来の夢や希望はすべてかなう、と断言する「アファメーション」をつくりましょう。

・ほめ言葉は、ほめられた人より、ほめた人自身がその恩恵を受けます。

・「もしも素敵な男性がいたら」「もしもお金があったら」と、現在を否定するような言葉を選んではいけません。

・眠りにつくひとときは、ふだんの何倍もの集中力を持って、自分が口にする言葉を脳に言い聞かせることができます。

・不安や心配が浮かんだら、即座に「毒消し言葉」で打ち消しましょう。


(p162)

 

 

「ほめ言葉は、ほめられた人より、ほめた人自身がその恩恵を受けます。」というのが好きです。

本書を読み進めながらも、タイトル通りのうまい話があるだろうか?という気持ちも、ちょいちょい浮かばなくもないですが、頭の中で考えたり、誰に見せるでもない日記的なものに書くだけなので、誰の迷惑になるわけでもないし。と思い直しました。前向きな気持ちになれるだけでもいいかなと思います。

 

アファメーション(なりたい自分にふさわしい文言をつくって、何度も言ったり、見たり、聞いたりすることで、自分自身に健全な「思い込み」をつくること)をやってみたいけど、具体的にどういう文章にすればいいんだっけ?という時にも役立つかもしれません。

 

アファメーションというものがどんなものなのかについては、こちらのサイトが分かりやすいです。

 

life-and-mind.com

 

外出する機会が少なくなり、塞ぎがちな気分になることもありますが、せめて心の中だけでも好転させてくれるといいですね。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

 

中野ジェームズ修一『下半身に筋肉をつけると「太らない」「疲れない」』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

中野ジェームズ修一『下半身に筋肉をつけると「太らない」「疲れない」』を読みました。

 

筋トレのモチベーションアップになるといいなと思って、手に取りました。

 

■正しい姿勢をしようと無理すると、かえって逆効果。

美しい姿勢を30分キープ。で、見違える。

 


    正しい姿勢を保持していれば、自然と筋肉が鍛えられると思われがちです。これはたしかに一理あるのですが、無理に姿勢を矯正し続けることによる問題も出てきます。関節に負担がかかりすぎてしまい、「痛み」としてさまざまな弊害が生じるのです。

    そのため、最近では整形外科医も私たちトレーナーも、無理に姿勢を矯正するのではなく、普段は自分の楽な姿勢でいいので、30分程度正しい姿勢を保つようにしましょう、とアドバイスすることが多くなっています。

 
  また、正しい姿勢を無理なく保てるよう、サポートをつくってあげるのも有効です。私がおすすめしているのは、バランスボールミニ(直径20㎝ほどのゴムボール)を姿勢のサポートとして、椅子の背もたれと背中の間に挟む方法です。

    これだと、さほど無理しなくても背筋が伸びてある程度の時間は、正しい姿勢を保つことができます。

 

 

普段猫背気味の自分には、30分綺麗な姿勢を意識するのも、結構気を遣うと思いました。 ゴムボールはやってみたいです。

 

■体温も筋肉で変わる


 これまで、健康なからだをつくるのも、太らないからだをつくるのも「筋肉」が重要な役割を果たしているとお話ししてきました。このほかに、筋肉は体温維持、向上にも力を発揮しています。

 私たちのからだは、自律神経のはたらきによって常にだいたい37℃の体温に保たれるようになっています。気温は37℃よりも低いのに、この体温を保っていられるのは、自分自身で熱を生み出し、体温を一定にコントロールしているからです。この「熱を生み出す」という役目において、いちばん貢献しているのが筋肉です。

 

 体内の熱生産の約6割が筋肉。残りの2割は肝臓や腎臓、2割は褐色脂肪(エネルギーを燃やす細胞)となっています。肝臓や腎臓は自分の力ではどうにもできませんが、筋肉量だったら努力次第で増やすことができます。しかも、6割も占めているのです。

 ということは、筋肉量が減ってしまうと、熱を生み出す力が衰え、体温を維持することが難しくなるということは想像ができると思います。

 冷え性の人や、普段から平均体温が36℃を欠けるような人は、総じて筋肉量が少ない場合が多いのです。体温を上げる、冷え性を改善するために、いちばんに取り組まなければいけないのは、「筋肉量を増やすこと」です。

 

 

筋肉量が少ないと、冷え性を起こすというメカニズムに納得しました。

しかも、家の体重計に筋肉量が表示されていたのに、これまで大して見ていませんでした。増減を気にするようにしたいです。

 

■果糖がカロリーオーバーになる

 

 動物性たんぱく質を摂らない「菜食主義」と同じように、フルーツを食事のようにして食べ、ほかの栄養素を極端に摂らない人たちのことを「果物主義」と呼ばれているのですが、私のまわりにも少なくありません。

 割合年齢の高い方々に多く、果物を毎食後食べないと、気が済まない人たちです。

 おそらく、戦後に果物が高級品でなかなか食べられなかった時代を子どもの頃に経験してきたからなのでしょう。「果物はからだにいいから」「ビタミンCが豊富だから」「ヘルシーだから」と、みなさんおっしゃいます。

 しかし、日本人に不足している栄養素はビタミンCではなく、唯一カルシウムだけです。

 決して、果物を食べることがよくないわけではありません。果物にはビタミンやミネラルが豊富なだけでなく、食物繊維も多いので血糖値の上昇を抑えるはたらきもあります。食後は、血糖値が急上昇します。したがって、食後のデザートに果物を食べるということは理にかなっていると思います。しかし、果物には果糖という糖分が多く含まれているので、1日の総摂取カロリーに照らしてみたときに、たくさんの種類の果物を食べることでカロリーオーバーになっていないかを考えてみる必要があります。

 1日のうち、食後の果物は1回だけで十分です。りんごやなし、グレープフルーツなどなら1日1個、オレンジ、みかん、キウイなら2個まで。バナナなら2本までが適量です。

 

バランスよく食べているつもりでも、過剰なものがあったりして、難しいですね。

旬の果物があるときなど、朝も夜も食べている日もあるな、と反省しました。

 

■ キビキビ歩きで、いつもの1.5倍のカロリー消費。

 時速7キロで歩く。

 

 「走るよりも歩いたほうが消費カロリーが高い」と聞いたことがないでしょうか。

 ちょっとした歩き方の工夫で、走るよりも効果的に消費カロリーを上げられます。

 「歩く」と「走る」の境目は、時速約8kmだといわれています。たとえば、ランニングマシン(トレッドミル)で時速5㎞ぐらいの歩くペースから始め、徐々にスピードを上げていきます。するとやがて、もう歩くのは限界、走ったほうが楽だという速さがやってきます。それが、時速約7㎞を超えたぐらいなのです。

 ランニング初心者の方に「どれくらいのスピードで走ればいいですか?」と質問されたときに答えるのが、この「時速7~8kmペース」です。個人差はありますが、それが人間にとって、いちばん負担なく楽に走れるスピードだからです。

 ということは、その一歩手前、時速7㎞程度まではがんばれば歩けるペース。歩こうと思えば歩けるのに走ってしまうと、今度は逆に楽になるので消費カロリーが減ってしまいます。つまり、すべてにおいて「歩く」よりも「走る」ほうが消費カロリーが高いとはいえないのです。あなたが「走るのは苦手」というのであれば、「歩くのが限界」というペースでキビキビ歩きをしましょう。背筋を伸ばし、大股で、息がはずむぐらいのスピードで。走らなくても、スローランニングと変わらない有酸素運動の効果があり、カロリーもランニングより多く消費できます。

 また、ランニングはどうしても膝(しつ)関節や股関節に負担がかかります。筋力がない人が、いきなり走って関節を痛めてしまうことのないよう、キビキビ歩きから始めるのもいいでしょう。

 往復の通勤に1日5~10分、人によっては30分以上歩いている人もいると思います。

 その時間をトレーニングと考え、キビキビ歩きに切り替えてみませんか。それだけでふつうに歩くよりも、約1.5倍は消費カロリーがアップします。

 

 

震災のあとから、仕事場への行き帰りの靴をランニングシューズにしたのに、この頃は在宅勤務の前の日に持ち帰るPCが重くて結構タラタラ歩いていました。もうちょっと頑張ってみたいと思います。

 

■脚をきれいに見せる下半身の”ゆる筋トレ”

太ももの裏側とおしりの筋肉をケアする。

 

 人間は、足腰の筋肉から衰えていきます。スクワットなどで筋力の衰えを補強するのは重要なことなのですが、太ももの前や外側の筋肉量が増えると、どうしても脚が少し太く見られがちになってしまいます。

 また、スクワットやランニングなどもそうですが、正しいフォームが習得できていないと、太ももの前の筋肉(大腿四頭筋(だいたいしとうきん))ばかり発達してしまうことがあります。

 足腰の筋肉で衰えやすい部分を強化しながら、脚がきれいに見えるようにするには、太ももの裏側のハムストリングスやおしりの筋肉である大臀筋を鍛えるのが効果的です。

 脚の筋肉量は増やしたいけれど、脚のラインをきれいに見せたいときには、からだの裏側にあるハムストリングス大臀筋を鍛えるエクササイズを取り入れましょう。

 

 

ランニングもスクワットも、いまいち正しいフォームに自信がないので、本書で図解されていた「ヒップエクステンション」をやってみようかなと思います。

 

まだまだ寒いので、肥満防止のためにも頑張ろうと思います。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

南沢典子『すっぴん美人の教科書』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

南沢典子『すっぴん美人の教科書』を読みました。

 

長時間マスクをしていると、肌荒れが気になるこの頃です。

何か良いアドバイス的な内容がないかと思って手に取りました。

 

■おやつについて

 

    ふだんの私のおやつは、油で揚げたり塩を振ったりしていない、タネ類やナッツです。

ひまわりのタネはとくに好きで、自宅に常備しています。歯でカリッと割れ目を入れたら、外側の皮は捨てて中身を食べます。手に入りやすいものでは、アーモンドやクルミもよく食べています。ビタミンEが豊富で抗酸化作用も高く、血液がサラサラになります。少し刺激が強いので、1日に食べる量は片手に軽くひと握り程度までにしています。

    この習慣を私にすすめた中医学の先生のお肌は、ツルツルでたるみがなく、ピーンと張っています。外側からのスキンケアは何もしていないそうですが、実年齢より数十歳は若い肌年齢に見えます。

    中国の若い女性も肌がきれいな方が多いですね。中国で「アイスクリーム食べない?」と女の子たちを誘惑しても断られます。体を冷やしたり乳脂肪の高い食品を摂らない習慣が染みついているのだと感心しました。ただ、上海や北京など近代化が進んだ都市部では、ここ10年で女性達の肌の変化を感じます。諸外国と同様にファンデーションなどの化粧をする人が多くなり、肌荒れやニキビに悩む女性が増えたようです。(p88)

 

 

肌をきれいにしようと考えるなら、食生活を見直すことが不可欠だと思わされる文章です。

本書には他にも、季節ごと、悩みごとに、摂ると望ましい食品が載っていて、食べるものをおろそかにしてはいけないという気持ちになります。

 

■風邪気味のとき

 

    私はめったに風邪をひきません。ごくたまに熱が出ても、朝あった熱がお昼には下がってしまうのです。起きたら体が痛い、頭も痛い、熱もある、という状態のときでも市販薬は服用しません。しょうがをすって熱いお湯で薄めたら、はちみつと混ぜて一気に飲みます。その後「よし!」と気合いを入れて眠ると、私の場合はお昼すぎには熱が下がって元気になります。

 (p89)

 

 

風邪を引きやすい上にすぐに市販薬に頼ってしまう私には、とても羨ましく感じました。でも、食べ物の力でコンディションを調節できるなら、ぜひ取り入れたいです。

 

 ■全身で汗をかく

 

   脇の下や手、足の裏だけなど部分的に多量の汗をかくことは、中医学的に見るとよくないことです。体中からたくさん汗をかいて循環させないと、体液が濁ってしまうという考え方です。冷房で冷やされすぎて、または冬に体が冷えすぎて、少しも汗をかかない日が続く状態も同様です。

 全身の汗腺が開ききっていれば、汗と一緒に老廃物を大量に排出できます。日常のなかでできるだけ多くの汗をかける場面があるといいでしょう。

 でも、軽い運動をした程度では、なかなか全身からの汗は出にくいものです。汗をかきやすくするためには、体中の汗腺を開くためのステップを踏んでみてください。それは、運動前でも入浴前でも、温かい飲み物を飲むことです。「コップ1杯の水を飲むとよい」と聞くこともありますが、水では体に吸収されて排出するまでに時間がかかってしまいます。早く汗を出すためには白湯がいいでしょう。普段から汗の量が少ない人は、銭湯や温泉にあるサウナを利用してみましょう。

 汗を出すのに効果的な入浴方法があります。あらかじめ洗面器の湯に塩水を溶かしてそれを体にかけ、タオルで軽く押さえる程度に拭いてから浴槽に入ります。浸透圧で、皮膚の表面にバーッと汗が噴き出してきます。

 こうすれば簡単に汗をかけて、体の水分を入れ替えることができます。私自身も以前から汗の量が少なく、激しい運動をしてもあまり汗はかかずに、顔だけが真っ赤になってしまう体質でした。それでもこの方法を続けることで、全身からたくさん汗をかけるようになりました。今まで出たことがなかったようなところからも大量の汗が出てきます。古くなった水分、体内に溜まっていた水が外に出ていって、気分もスッキリします。

 長い時間をかけて濁り水のように溜まった汗は、じわじわと毛穴の外に出てきて肌に密着します。これが春先の肌トラブルを起こす原因の一つにもなります。定期的に大量な汗をかくことで汚れも溜まらず、汗が不快な臭いを発することもなくなります。

(p104)

 

 

上記の入浴法は覚えておこうと思いました。

 

■過去へのこだわりをやめる

 

 昔はよかったと、若かった頃の自分を引きずっていると、どんどん今の自分がくすんでいってしまいます。過去は振り返らないこと。今の私はこうだから、では、どうやったらきれいに、素敵に見えるのか、憧れられるような人になれるのか、今の自分を見つめることが大切です。

 よく男性は、若い頃より0代、6代になったほうが格好いいなどと言われます。渋みが増すというか、落ち着きが増すというか、刻まれたシワの深さの分だけ、人間味も深くなるからでしょうか。でも、それは男性だけでなく、女性もきっとそうだと思うのです。女性はそのことにもっと自信をもてばいいのです。

 自分に自信を持つには、まずは気張らないことではないでしょうか。若い子を真似しようと思っても、絶対にギャップがあるので、内面で勝負です。私は仕事柄、毎日多くの人に会いますが、この人はいつも印象がいいなという人に出会います。化粧が上手とか、服装が素敵とか、そういう表面的な印象ではなく、その人が放つ空気感とか「気」のようなものに魅かれるのです。

 では、それはどんな人に多いのかをよくよく観察していると、自分のやりたいことをやっている人に多いのです。日ごろの生活の中では、きっとやりたくないこともやっているのでしょうが、そこはサラッと流して、時間を存分に楽しんでいるのでしょう。

 例えば自分の心地よい場所に出合えるとか、とても気の合う人に出会えるとか、さまざまなことを楽しんでできている人は、自分はこれでいいのだと、自分の個性を認めています。もしかして、人とはちょっと違うのかもしれないけれど、"自分は自分だ" と自信があるわけです。

  そうした時間の積み重ねを経て生まれる魅力が、ある程度、年齢を重ねた女性の美しさだと思います。それは化粧で肌をきれいに、若く見せることとは違う種類の美しさです。人と比べて自分がきれいかどうかなんて、どうでもいい。若い頃の自分がどれだけきれいだったかなんて、どうでもいいーー徐々にそのように思えたら素敵だと思います。(p156)

 

これはちょっと肌へのアプローチとは違うかもしれませんが、こういう内面的な考え方が、外見にも表れるのが不思議だなとよく思います。

 

数年前、それまで使用していたシャンプーで頭皮が痒くなり、ドラックストアで手に入るいろんなシャンプーを試したのですがなぜかどれもこれも痒く、困っていました。そんなとき、著者の会社で販売しているシャンプーを使ったところ痒みが収まって、以来愛用しています。

 

でも、特に著者の会社の化粧品を使用していなくても、美肌のヒントがあると思います。

 

また、かっさという道具について、今まで顔にしか使用しない物なのかと思っていましたが、頭や全身にも使えるということを本書で初めて知りました。かっさの選び方や使い方の図解も載っていたので、チャレンジしたいと思いました。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

荒木香織『ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」』を読んで

 おはようございます、ゆまコロです。

 

荒木香織『ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」』を読みました。

 

著者は2012年より「ラグビーワールドカップ2015」終了までラグビー男子日本代表メンタルコーチをされていた方です。

 

スポーツでの目標の立て方や、評価されないと感じた時に考えるべきことなどが紹介されていますが、読んで印象に残ったのは、以下の箇所です。

 

■困ったときのメンタルスキル

 

    暑さも同じです。自分がイライラしても、気温を下げることはできません。むしろ、ますます暑く感じてしまうでしょう。だったら、「暑い、暑い」と思うこと自体をやめてしまって、するべきことに意識を向けるのです。

    「暑い」とか「だるい」とか「もう嫌だ」とか、そういうネガティブな自分に対する問いかけが、自分の元気の源になっていないことに気がついていない人は、意外に多いのではないですか。

    では、どうやってネガティブな考えを断ち切るのか。

    ラグビー日本代表の立川選手は次のプレーに集中するときには、指を触ることで気持ちを切り替えるようです。陸上競技の長距離選手のなかには、ある指だけ爪の色を変えて、イライラしたらそこを見るという選手もいます。

    むろん、いきなり指を触ったからといって、イライラしなくなるわけではありません。トレーニングが必要です。でも、逆に言えば、訓練すれば誰でもこうした能力、すなわち思考を停止する能力を身につけることがで のです。

 思考を停止する方法は人によってさまざまですが、ラグビー選手でいえば、試合が行われるグラウンドには必ずゴールポストが立っています。そこで、「イライラしているな」と自分で気づいたときは必ずポストのいちばん上を見るようにする。そして、そうしたら考えること自体をやめるよう意識するのです。

    もちろん、最初からストップできるはずはありません。が、このトレーニングを繰り返していくうちに、ポストを見たらオートマティカルに思考をストップすることができるようになります。「眠い」という考えすら止めることができます。だから私は時差ボケで悩んだことがありません(あとで肉体的に反動がくるので、健康的なことではありませんが)。

 
  思考停止はなんらかのツールがないと難しいので、イライラしたら「これを触る」とか「これを見る」、あるいは「何かを叩く」というふうに、自分なりのツールをあらかじめ決めておくことをお勧めします。

    たとえば、交通標識の「止まれ」という赤いサインがあります。私が指導しているゼミ生のなかには、私がハワイに行ったときに青い空をバックに撮影したストップのサインをパソコンのデスクトップの壁紙にして、「できない」「無理」と思ったときやネガティブな考えに陥ったときにその写真を見る、という学生が何人かいます。

(p140)

 

 

眠いという思考を停止することが、本当に自分にも出来るようになるには相当の訓練が必要そうだと思いましたが、こうしたトレーニングがあるということに興味を引かれました。

 

■ 受け止め方を変えるメンタルスキル


  私のゼミの学生にもよくいます。

「すごくがんばったのに、できません」

「もういいから、提出しなさい。もうこれがあなたの限界。これでいいから」

そう言うと、

「いや、もっとできるはずだから」

   もちろん、そう考えるのは悪いことではないのですが、過去一〇年くらいを振り返ってみて、みなさん、そんなに素晴らしい日々が続いていたでしょうか。そんなことはないのではないですか?

    だからこそ、「もっともっと」と望むのでしょうが、往々にしてそういう人は誰かが、環境が「なんとかしてくれる」と思っていることが多い。そうしてくれるのを待っている。そういう傾向が多々あるのではないかと感じます。

    でも、環境は自分でつくっていくしかない。自分が変わらなかったら、何も変わらないのです。そういうプロアクティブ(率先的)な行動をとらないで、ただ待っているだけでは、「もっと」と望んでも得られるものではありません。

    いま自分ができることを精一杯やっていけば、ストレスも少なくなるし、失敗することもそうはない。それでいいんじゃないかとも思うのです。そんなに多くのことを求めなくても、と....。

    五郎丸選手は、母校早稲田大学での講演でこう語ったそうです。

「どんな環境であれ、目の前のことに対して百パーセントできるか。環境がよかろうと、悪かろうと、目の前のことに対してしっかりコミットできるかどうかが、将来を切り開けるか切り開けないかに直結してくると思う」

(p174)

 

 

「過去一〇年くらいを振り返ってみて、みなさん、そんなに素晴らしい日々が続いていたでしようか。そんなことはないのではないですか?」

←確かにそうです。でもそれを呼び込んだのは、待ちの姿勢である自分の責任でもある。何だか耳が痛い言葉でした。

 

より良いパフォーマンスを生むために、自分がどう競技と関わるか?を多面的に考えていて、しかもそれが精神論過ぎないところに好感が持てました。

 

何かの折に、ヒントになるかも知れないと思いました。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

ポール・オースター『写字室の旅』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

ポール・オースター柴田元幸(訳)『写字室の旅』を読みました。

 

自由に旅行ができないこの時節柄、旅というタイトルに心踊りましたが、主人公の置かれた状況は、これ以上無いくらい閉鎖的でした。

 

どうして捕らえられているのか(本人にも読者にも)分からない主人公の男性の行動を見守るより、物語中物語の方が動きがあってつい気になってしまいます。

 

その中で本書のもう一人の主人公が、発作的に暴力を振るったことを反省する場面が好きです。

 

 判決が下されて何時間も経たないうちに、庁の役人たちが陪審員数名を買収して私に有利な票を投じさせたという噂が広がった。私自身は、自分のために何か腐敗したやりとりが為されたかどうかはいっさい知らないが、そうした非難は根も葉もない噂話にすぎないと思う。私がたしかに知っているのは、その夜以前に私がマクノートンに会ったことは一度もなかったということだ。一方相手は、名前で呼びかけるくらい私のことを知っていた。彼がテーブルに近づいてきて私の妻のことを話し出し、妻の失踪の謎を解く助けとなる情報を持っていることをほのめかすと、とっとと失せろと私は彼に言った。この男は明らかに金が目当てだった。そのまだらに染まった不健康そうな顔を一目見れば、こいつがペテン師で、私を見舞った悲劇のことを聞きつけてそれをダシに一儲けしようと企んでいるのは明らかだった。そうやって邪険に追い払われたことが、どうやらマクノートンは気に入らない様子だった。退散するどころか、隣の椅子に腰を下ろし、怒った様子で私のベストをつかんだ。それから、私たちの顔がほとんど触れるまで私の体を引き寄せ、顔をくっつけてきて、言った。あんた、どうなってるんだ? 真実が怖いのか? 彼の目には怒りと蔑みがみなぎり、何しろ私たちはたがいにぴったり接近していたから、その目は私の視界内にある唯一の物体だった。彼の体から敵意が流れ出るのが感じられ、次の瞬間、その敵意がじかに自分の体内に入り込んでくるのを私は感じた。彼に襲いかかったのはその時だった。そう、手を出したのは向こうが先だったが、反撃を開始したとたん、私は彼を痛めつけたいと思った。可能な限りこっぴどく痛めつけたいと思った。

 

 これが私の罪である。ありのままに受けとめてもらえればいい。だがこの報告書を読む行為に影響が及ぶようなことはないようにしていただきたい。災難は万人の許に訪れ、一人ひとりがそれぞれのやり方で世界と和解する。あの夜マクノートンに対して私が行使した暴力も正当ではなかったが、その暴力を行使する上で覚えた快感はもっと大きな悪だった。自分の行ないを許しはしないが、当時の精神状態を思えば、他人に危害を加えたのが風亭の一件だけで済んだことは驚きと言ってよい。その他の危害はすべて自分に対して加えられたのであり、酒への欲求(実のところそれは死への欲求だった)を抑えることを学ぶまでは、全面的な破滅の危険を私は抱えていたのだ。やがて、ふたたび何とか自分を制御できるようになったが、白状すれば私はもはやかつての自分ではない。それでも生きつづけているのは、何よりもまず、内務庁での仕事が、生きる理由を与えてくれているからだ。何とも皮肉な話である。連邦の敵と名指される私だが、過去十九年間、私ほど連邦に忠実であった公僕はほかにいない。記録を見てもらえばそれは明らかだ。かくも壮大な営みに携われる時代に生きたことを、私は誇りに思う。現場での仕事を通して、真実を何より愛する気持ちを植えつけられ、それゆえ己の罪や違犯に関する疑惑もすでに晴らしたが、むろん犯さなかった罪まで認める気はない。

(p57)

 

「敵意が流れ出るのが感じられ」たというのが、生々しい表現だなと思いました。

この文章で何より好きなのが、暴力そのものよりも、暴力を行使する上で覚えた快感がもっと悪いとしているところ。

オースターらしい自己省察に好感がもてます。

 

他にも、捕らわれの主人公は誰であるのか?とか、出てくる人物たちの名前は何を意味しているのか?とか、面白い仕掛けはいろいろあるのですが、ここでは控えます。

 

ポール・オースターのファンブック的な作り込みが楽しい本でした。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

立花隆『知の旅は終わらない』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

立花隆『知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと』を読みました。

 

筆者が大学生の時に、初めてヨーロッパを旅したお話が印象深いです。

資金調達に始まり、1960年ごろに海外旅行へ行く大変さが伝わってきます。

 

■ヨーロッパの重みとキリスト教の実像

 

    イタリアは、ローマ、ミラノ、ヴェネツィアなど、いろいろな街を巡り歩きました。とくにフィレンツェには長くいて、この街の美術館は徹底的に見ています。

    このときの旅行全体を通じての最大の収穫のひとつに、名画をたくさん生で見た、ということがあります。とにかく金がないですから、どこへ行ってもできることといえば美術館や博物館に行くことぐらいしかないわけです(笑)。具体的にどの作品、というのではない。質かける量の、総体としての芸術体験ということです。芸術を介して、総体としてヨーロッパの重みのようなものを感じました。この感覚は実際に行ってみないと得られない。

  とくにイタリアなんて、小さな町に行っても、驚くような美術品があるでしょう。また、それまでにまったく見たこともない、これは何だろうと思うような絵のテーマもある。それを知りたいと思って調べだすと、しだいにその背後にある巨大な文化の体系が見えてくる。一種、打ちのめされるような衝撃がありました。ヨーロッパ文化のそのような厚みを、自分はそれまでまったく知らなかった。なんてモノを知らないんだろうと思いました。

    日本のちょっと政治かぶれした若造が見ている世界なんて、本当にちっぽけなものだ、われわれの知らない巨大な文化の体系が、この世界にはあるんだ、ということを早い時期に知ったことが、その後の僕の考え方に大きな影響を与えているように思います。

    もうひとつ、キリスト教に対する見方が大きく変わったというのもこの旅行の成果でしたね。何度かこのことには触れましたが、両親が信者だったこともあって、僕は子どものころから、キリスト教には特別な思いがあった。しかし、それまで頭の中で描いていたキリスト教のイメージは、本場に行って完全に崩れてしまいました。

    ひと言でいえば、日本人はキリスト教をあまりにも純化しすぎて見ている。おそらく明治・大正期の欧米の知識の移入の仕方に問題があったためでしょう。これに反して、ヨーロッパにおけるキリスト教というのは想像を絶するほど多面的なものなんです。たとえば日本で真言宗が担っているような土着的な信仰の性格も豊富に持っている。カトリック圏の聖人崇拝などは、ほとんど多神教の世界に近いものがありますね。

  キリスト教のバックボーンが呑み込めていないとヨーロッパの文学は全然わからない。一見宗教的ではない作品でもそうなんです。西洋文学を論じる日本の文芸評論家で、はなはだしく読み間違えている人は、大抵この辺に問題があります。僕の場合、早くヨーロッパ体験をしたお蔭で、そうした誤読はまぬがれたと思いますね。

(p86)

 

 

 

ヨーロッパの文学に触れた時、時々違和感というか、寄り添えなさを感じることがありますが、たぶんバックボーンが呑み込めていないということなんでしょう。

海外旅行に出かけたくなります。

 

■宇宙飛行士が直感した神の存在

 

 アポロ9号に乗ったラッセル・シュワイカートは、「宇宙体験をすると、前と同じ人間ではありえない」と僕に語りました。宇宙体験の内的インパクトは、何人かの宇宙飛行士の人生を根底から変えてしまうほど大きなものでした。

    スカイラブ4号で宇宙に行ったエド・ギプスンは、宇宙飛行士の共通項のくくり出しとして、「これは特筆すべきことだと思うんだが、宇宙体験の結果、無神論者になったという人間は一人もいないんだよ」と言いました。たしかに、漆黒の闇に浮かぶ青々とした地球を見たときに「神」の存在を信じた、と多くの飛行士が話したんです。

 アポロ4号に乗って月面に降り立ったエド・ミッチェルは、宇宙飛行士時代に、もっとも思索的でもっともインテレクチュアルな飛行士と言われた人物です。ちょっと長くなりますが、彼と僕とのやりとりを紹介しておきます。

 

« ーー(あなたは科学者であると同時に、聖書の言葉をすべて正しいと信じる熱心な南部バプティストのクリスチャンだった。)あなたはいかにして科学的真理と宗教的真理の対立を克服したのか。それは宇宙体験と関係があるのか。

「まさしくその通りだ。私は二つの真理の相剋をかかえたまま宇宙にいき、宇宙でほとんど一瞬のうちに、この長年悩みつづけた問題の解決を得た」

 

ーーそれは、宇宙体験のどの部分なのか。

「宇宙から地球を見たときだ。(中略)月探検の任務を無事に果し、予定通り宇宙船は地球に向かっているので、精神的余裕もできた。落ち着いた気持で、窓からはるかかなたの地球を見た。無数の星が暗黒の中で輝き、その中に我々の地球が浮かんでいた。地球は無限の宇宙の中では一つの斑点程度にしか見えなかった。しかしそれは美しすぎるほど美しい斑点だった。それを見ながら、いつも私の頭にあった幾つかの疑問が浮かんできた。私という人間がここに存在しているのはなぜか。私の存在には意味があるのか。目的があるのか。人間は知的動物にすぎないのか。何かそれ以上のものなのか。宇宙は物質の偶然の集合にすぎないのか。宇宙や人間は創造されたのか、それとも偶然の結果として生成されたのか。我々はこれからどこにいこうとしているのか。すべては再び個然の手の中にあるのか。それとも、何らかのマスタープランに従ってすべては動いているのか。こういったような疑問だ。

   いつも、そういった疑問が頭に浮かぶたびに、ああでもないこうでもないと考えつづけるのだが、そのときはちがった。疑問と同時に、その答えが瞬間的に浮かんできた。

 問いと答えと二段階のプロセスがあったというより、すべてが一瞬のうちだったといったほうがよいだろう。それは不思議な体験だった。宗教学でいう神秘体験とはこういうことかと思った。心理学でいうピーク体験だ。詩的に表現すれば、神の顔にこの手でふれたという感じだ。とにかく、瞬間的に真理を把握したという思いだった(中略)」

 

――その神というのはつまるところ何なのか。(中略)

「神とは宇宙霊魂あるいは宇宙精神(コスミック・スピリット)であるといってもよい。

 宇宙知性(コスミック・インテリジェンス)といってもよい。それは一つの大いなる思惟である。その思惟に従って進行しているプロセスがこの世界である。人間の意識はその思惟の一つのスペクトラムにすぎない。宇宙の本質は、物質ではなく霊的知性なのだ。

 この本質が神だ。(中略)キリスト教の枠組は狭い。あまりにも狭い。あらゆる既成宗教の枠組は狭い。硬化している。既成宗教の枠組の中で語ろうとすると、その宗教の伝統の重みにからめとられてしまう。伝統による人間の意識の束縛は大きすぎるほど大きい」

 

ーーすると、あらゆる宗教の神は、本質的には同じということか。

「そういうことになる。つまり、宗教はすべて、この宇宙のスピリチュアルな本質との一体感を経験するという神秘体験を持った人間が、それぞれにそれを表現することによって生まれたものだ。その原初的体験は本質的には同じものだと思う。しかし、それを表現する段になると、 その時代、地域、文化の限定を受けてしまう。しかし、あらゆる真の宗教体験が本質的には同じだということは、その体験の記述自体をよく読んでいくとわかる。宗教だけに限定する必要はない。哲学にしても同じことだ。真にスピリチュアルな体験の上にうちたてられた哲学は、やはり質的には同じものなのだ」》

 

無宗教者とガイア

 

    一方、そもそも無宗教者である飛行士は、宇宙から帰った後でも無宗教者のままであったケースもあります。それは先に触れたシュワイカートの場合です。彼に神の存在を信じていないのかと尋ねると、彼はこう答えました。

 

《神というのは、天の上にいるヒゲを生やしたジイさんのことかね。それなら、ノーだ。信じていない。五〇年代の後半に私はキリスト教から離れた。その時点では、まだ相当に宗教的だったと思うが、その後、さらに離れた。宗教的というより、むしろ、哲学的になっていった。つまり、何かしら神的なものを仮定する必要を認めなくなっていった。

 そして、結局、こう考えるようになっていった。宗教というのは、一つの言語体系の問題であるということができる。つまり、宗教を含めて、この世界を観る体系的見方がいろいろある。自然科学もその一つだ。人間中心主義もあれば、理性中心主義もある。イズムは沢山ある。そして、それぞれに独特の言語体系を作ってしまっている。》

(p249)

 

 

宇宙へ行くことと、それによる宗教観の変化、面白いテーマだと思いました。

筆者が大学で教鞭を取るお話も好きです。

 

■思想的浮気のすすめ

 

 「人間の現在」の講義に話を戻すと、最初の授業で僕はこんなことを話しました。『脳を鍛える』(新潮文庫)から引用します。

 

《きみたちの年齢は、矢継ぎ早にいろんなものとの出会いを果さなければならない年です。

 幼児期に、はじめて母親と出会い、はじめて他人と出会い、はじめて人間以外の動物と出会い、はじめてテレビと出会い、はじめて言葉と出会い、次々に奔流のごとく押し寄せてくる「はじめて体験」の渦の中で、最初の精神形成をしていったように、今は、第二の「はじめて体験」の渦の中で、第二の精神形成が一挙になされていく時期なんです。

    いろんな「はじめて体験」と出会うはずです。はじめての異性体験もあるだろうし、はじめての政治体験やはじめての宗教体験もあるでしょう。はじめての芸術的感動体験もあるでしょう。はじめての「悪」との接触体験もあるでしょう。はじめての、「いやでたまらない人間関係」体験もあるでしょう。はじめての屈辱体験もあるでしょう。

    最も大切な「はじめて体験」の一つが、哲学との出会いになるはずです。はじめての異性体験が、その人の生涯の異性とのつきあい方に強い影響を及ぼすように、はじめての哲学体験も、その人のものの考え方の基本に大きな影響を及ぼします。どのような哲学にどのように出会うかが、はじめての哲学体験では重要です。》

 

さらにこうつづけています。

 

《「永遠の生命なんてない」「絶対の真理なんてものはない」ということを信仰箇条の第一に置けば、それから、多くのことが導けます。

  まず、いかなる思想にものめりこまず、ハマらず、必要以上に尊敬したりせず、軽い気持で接触することが大切だということがわかります。思想においては、花から花へ飛びまわる蝶のように、浮気したほうがいいんです。あがめたてまつってはいけません。

(中略)宗教とか思想というものは、ある時代の誰かが頭の中でこしらえて、頭の中からひねり出した一連の命題です。どんな大思想(といわれているもの)にも、笑ってしまう他ない珍妙な部分があります。そういう部分でちゃんと笑えることが、精神的に健康であることの証しなんです。しかし、若いうちから何かにのめりこんでしまうと、そういう健康さを失ってしまいます。

    精神的健康さを養うために、若いうちは、できるだけ沢山の思想的浮気をするべきなんです。異性体験に関して、「できるだけ沢山の浮気をしなさい」なんていったら物議をかもしかねませんが、思想に関しては、そうすべきであるとはっきりいいます。浮気が足りない人は、簡単に狂うんです。簡単に溺れて、自分が溺れているということにすら気がつかないことになるんです。人間の頭は狂いやすいようにできてるんです。》

 

■人類の新しい知的到達点

    こうした人文系の話もしましたが、僕が力を入れたのは理科系の分野の話です。というのは、受講者の多くは文系の学生たちでしたが、手を挙げさせてみたところ、高校で物理をとらなかった人がかなり多かったからです。ということは、その人たちの物理の基礎知識は中学理科のレベルにとどまっているわけです。

    これはとんでもないことなんです。なぜかというと、サイエンスというのは、物理の上に築かれているからです。科学の基礎は物理で、科学のいちばんの基礎になる考え方は物理学が発展する中で築かれてきました。つまり、物理をやらなかった人は、サイエンスが基本的にはわからないことになります。

    理系の人は補習をやって欠落が補われるからまだいい。文系の学生はその欠落を抱えたまま社会に出ていって、社会の各界でエリートづらをすることになるわけです。僕は暗澹たる思いがしました。

    高校で物理をやった人はやった人で、別の問題があります。その人たちのほとんどが生物をやっていないはずです。その人たちには中学レベルの生物の知識しかありません。分子生物学の知識はもちろんないことになります。現代の生物学は、ほとんどが分子生物学の知識なしには理解できません。基礎生物学だけでなく、医学、薬学、農学、食品科学など、いわゆるバイオ系といわれるすべての分野がそうです。バイオの知識なしには、二十一世紀の知的活動、経済活動の大半がわからなくなるんです。

    ですから、理系の人は専門課程に進む中で、それぞれの領域において、最先端のことがわかるところまで強引にキャッチアップさせられます。しかし、文系の人は、自主的努力の積み重ねで自分でキャッチアップしないと、現代の科学技術社会の流れから完全に取りのこされてしまう。学生時代のあいだに、大変な努力をする覚悟をもたなければならない。

そんな話をしました。

    それで、一年目の講義でとりあげた理系のメインの項目(多くの固有名詞や事項に触れましたからそのごく一部)は、次のようになります。

    宇宙、ニュートン、脳、アインシュタイン利根川進相対性理論分子生物学、C.P.スノー…。

『二つの文化と科学革命』(みすず書房)の著者で、小説家でもあり物理学者でもあったスノーのように、理系と文系の両方にまたがった人もいます。文系のメインの項目は、キェルケゴール、『荘子』、ポール・ヴァレリーの『カイエ』『テスト氏との一夜』、小林秀雄デカルトヴィトゲンシュタインカール・ポパー、アンリ・フレデリック・アミエル、ジョルジュ・デュアメル、エラスムス、ルター、T・S・エリオット…、

こんな感じでした。

    とにかくあらゆることを喋りました。もともと、何らかのまとまった知識の伝授を目指したわけではなくて、知的刺激を与えることが主目的でした。人類の新しい知的到達点に立ってみると、世界がどれほどちがって見えてくるか、また、そのような時代に生まれて、どのような生の選択をすべきなのか、そういうことを考えるのに資するであろうことを、次から次へ片っ端から喋ったという感じですね。あっちへ飛び、こっちへ飛びして、ある意味では、支離滅裂に見えるかもしれないけれど、「人間の現在」という筋は一本通したつもりです。

    この講義以降、自分の仕事のやり方、質がそれ以前と比べて、ずいぶん変わったなと思います。あらためて振り返ってみると、僕がやってきた仕事はみんな、人間はどこからきてどこへ行こうとしているのか、というテーマが底に流れているようなところがあったから、もともと「人間の現在」の流れの一つみたいなところがあったわけですが、この講義以後、ますますそうなりましたね。

    この講義をした期間は二年間でしたが、その後、大学関係では、二〇〇五年に東京大学大学院総合文化研究科特任教授となり、二〇〇七年に東京大学大学院情報学環特任教授となって、立教大学でも大学院特任教授に就くことになります。

(p292)

 

 

大学生に向かって話す内容もそうですが、筆者がインタビューに臨む前の準備を知ると、勉強しなくてはという気持ちになります。 

911への切り口と、国家のあり方への提言も考えさせられました。

 

 八九年からの数年間は、いうまでもなくベルリンの壁崩壊にはじまって、東欧諸国にあった共産主義政権が雪崩をうって崩壊していき、ついにはソ連が解体されていく時代でした。僕はチェコスロバキア東ドイツを訪れてその現場を見ています。『文藝春秋』誌上で「東欧解体-これが新しい現実だ」(一九九〇年二月号)という大討論会に参加しました。

    いずれも半世紀に一度起こるかどうかというような出来事の連続だったわけですが、二○○一年九月にも世界をゆるがす大事件が起きます。ニューヨークの世界貿易センタービルが破壊された同時多発テロ事件です。このとき僕は、『文藝春秋』に「自爆テロの研究」(二〇〇一年十一月号)を書きました。

    情報が飛び交う真っ只中で、僕が何を書いたかというと、「あの事件の前と後では、たしかに世界が変ったのである。その変化について書いてみたい。これからさらにそれはどう変りうるのか。何がこの変化をもたらしたのか。アメリカについて。世界について。国家について。政治について。経済について。宗教について。イスラム原理主義について。

テロについて。戦争について。メディアについて」です。

  とりわけ詳しく書いたのは、神(アッラー)のために闘う「聖戦(ジハード)」という概念についてです。ジハードにおいて死ぬことは殉教者になることで、殉教者として死ぬことは、イスラム教徒にとって最高の功徳(くどく)なわけです。その後、イスラム原理主義者たちがインターネットで煽ることによって、単独テロ犯を次々と獲得し、ローンウルフ型のジハードが猖檄(しょうけつ)をきわめていったことはご存じのとおりです。

  つづけてこう書きました。「よく新聞論調などで、これを『文明の衝突にしてはならない……』という言い方がなされることがあるが、私はそれは誤りだと思う。『文明の衝突』はこれからするさせないの問題ではなくて、すでに千年も前から起きているのである。その衝突が千年間つづいてきた結果として今日の事態があるのである」。

 僕は、いま読むべきなのは、ハンチントン(サミュエル・ハンチントン。一九二七~二〇○八年、アメリカの国際政治学者)の『文明の衝突』(集英社文庫)ではなく、トインビー(アーノルド・J・トインビー。一八八九~一九七五年、イギリスの歴史学者)の『現代が受けている挑戦』(新潮文庫)だと思うとしています。世界の諸文明が互いに対立し、分裂を深めようとしている現在にあって、いかにすればその対立を克服し、統合をはかってい

けるのか。そのヒントをトインビーは提起しています。

    その解決策は結局、世界国家を作る以外にないのですが、世界的な規模で最大限国家を作ることは無理だろうから、最小限国家を作ることだろう。最小限国家とは、価値観における共有部分、つまり制度的縛りや文化的縛りを、最小限にするような国家のことです。

 上からの縛りはできるだけ小さくして、成員の各メンバーにできるだけ多くの自由を与えるような国家です。「みんないっしょに」、「みんな同じように」という画一化に向かう部分はできるだけ小さくしようとする方向性なのです。

    アメリカは社会のタイプとしては、最小限国家型でした。ところが、同時多発テロを境にして、明らかに最大限国家型となり、自分の縛りを押し付け、また、自分の規範に従うことを相手にも求める方向に向かいました。それは「味方でなければ敵」の論理でもあります。いってみれば、それはガキ大将のやり方そのものなんです。しかし、世の中は、それほど単純に白黒つけられるものではありません。本当の味方を多くしたければ、最小限国家型の「敵でなければ味方」の論理を使うべきだろうと思いますね。

(p301)

 

 

   たとえばアメリカで言論の自由といえば必ず引き合いに出される「ニア対ミネソタ判例というものがあります。

    「ニア対ミネソタ」事件とは、ミネソタ州が「公共迷惑法」なる州法を作り、ワイセツな新聞雑誌ならびに「悪意を持ちスキャンダルで人の名誉を傷つける」のをこととするような悪質低俗な新聞雑誌に対して州政府が永久発行差し止め命令を発することができるとしたことから起きた訴訟事件です。この法律で、発行差し止めを食いそうになった、人種差別的な新聞の発行者ニアが、こんな法律は憲法違反だと怒って起こした訴訟です。

    週刊誌蔑視の社説を書いた朝日新聞ならば、そんな新聞はつぶれて当然だといいそうですが、アメリ最高裁の判決はちがったのです。そのような低劣きわまりない新聞であろうと、その発行を差し止めることは、言論・出版の自由を定めた憲法の精神に反するとして、逆にミネソタ州法(公共迷惑法)のほうに取り消しを命じたのです。

    世界でもっとも言論の自由が守られているアメリカの言論法の真髄がここにあります。

    日本の大メディアがすぐに「低劣、守る価値なし」とバカにする日本の週刊誌より何倍も低劣で、客観的にいっても守る価値がほとんどないように見える新聞ですら、言論・出版の自由の名のもとにその発行権は守られるべしとしました。言論・出版の自由は何ものにもかえがたい価値を持つのだから、そのような低劣メディアの権利も守られるべきだとしたのです。

    さらにもうひとついっておけば、大メディアの論調の影響もあってか、言論にはいい言論と悪い(低劣な)言論があって、悪い言論は叩きつぶしたほうが世のためだという考えが、最近日本で急速に広がっているようですが、これはとても危険な考えだと思う。

 そういう流れの一つとして、自民党を中心に着々とすすめられていたメディア規制立法があります。こういう発想は、ミネソタの「公共迷惑法」を作った人々と同じ考えであって、そういう人がやがて、言論の最悪の抑圧者になっていくのです。

 欧米では、言論の自由について語ろうとするとき、何をおいても、まず読むべしとされるのが、ジョン・ミルトン(一六○八~一六七四年、イギリスの詩人)の「アレオパギティカ」です(これは日本でも翻訳されて、岩波文庫から「言論の自由」のタイトルで出たことがあるのですが、あまりの悪訳のために読まれなかった。以下の引用は、僕が岩波文庫版に若干手を加えた)。

    この書の中で、ミルトンが何よりも力説していることは、言論をいい言論と悪い言論に分けて、悪い言論を弾圧し、いい言論を賞揚するというやり方(つまり検閲)からは、よきものは何も生まれないということです。

「我々は清浄な心をもってこの世に生まれるのではなく、不浄の心をもって生まれてくる。

 我々を浄化するのは試練である。試練は反対物の存在によってなされる。悪徳の試練を受けない美徳は空虚である。美徳を確保するためには、悪徳を知り、かつそれを試してみることが必要である。罪と虚偽の世界を最も安全に偵察する方法は、あらゆる種類の書物を読み、あらゆる種類の弁論を聞くことだ。そのためには、良書悪書を問わずあらゆる書物を読まなければならない」

    いい言論にも悪い言論にも同じような存在価値があります。だから言論の自由は無差別に守られる必要がある。これが言論の自由を守る意義の根幹にある真理なのです。このことが裁判所にも、大マスコミにも理解できていません。

(p316)

 

 

 

言論の自由について、あまり深く考えたことはありませんでしたが、ここで紹介されているミルトンの本は気になりました。

 

戦争の考え方も、心に留めておこうと思いました。

 


    第一の敗戦と同様に、経済の失政についての責任追及はなされていません。第一の敗戦にたとえていうなら、敗戦後も軍部の政治支配がつづいているのと同じことでしょう。バカがコントロールに失敗して、さらにそのバカの支配がつづいている。いわば、陸軍の統制派が権力の内部交代をやりました、というのと同じことがいまでもつづいているんです。

 いま生きている時代を慨嘆してもしかたがないけれど、どんな時代にどんな転機があって、こうなってきたのか、ということを考える上で大日本帝国が生まれて敗戦を迎える五十六年間(執筆当時。ゆまコロ注)を読み直すことは不可欠だと思います。

    いま日本人が忘れているのは、もしも日本があの戦争をああいう形ではじめず、第一次大戦と同じように、戦勝国の側に身を寄せていたらどうなっていただろう、と考えてみることです。アメリカどころじゃない、アジアの広大な領域にまたがるとてつもない国になっていたでしょう。しかし、陸軍だの右翼だのの大バカ集団が支配するとんでもないたわけた国になっていたかもしれない。事実、日本は敗戦国の側に立ったために、大国になるどころか、亡国の淵をさまよったわけだけれども、結局、このほうがよかったのかもしれないですね。

(p361)

  

 

最後は死生観についてです。

 

■まあ、死ぬときは死ぬさ


    さて、僕のがんの経過ですが、発見して手術してから、すでに十年以上がたちます。いまは、内視鏡尿道から入れて膀胱内壁を観察するという検査を、半年に一回くらいの頻度で受けています。すでに現役のがん患者という気分はかなりなくなっています。

    ついこの間のことですけど、女医さんが検査をしてくれたんです。尿道に器具を挿入するんですが、女医さんで大丈夫かなあとちょっと不安に思ったんだよね。そしたら、その不安は的中して、器具が尿道にグサリと突き刺さったんですよ。もう、ギャーッという感じでたまらなく痛かった。やはりですね、男性器を持つ者と持たざる者とでは、尿道がカーブする微妙な感覚がわかるわからないということがあると思うんです。もう女医さんは勘弁してほしいと懇願しました(笑)。

    それはいいとして、がんよりも、がん手術の翌年にした心臓の血管内にステント(補強筒)を入れる手術のほうが怖かったですね。

    心臓を動かしている冠動脈二カ所に梗塞が見つかったんです。一つは九〇パーセント梗塞、もう一つは七五パーセント梗塞です。手術は意識覚醒状態で行われるのですが、麻酔中でも聴覚は全部生きていて、手術中の医療スタッフ間のコミュニケーションが全部耳に入ってきました。ステントの挿入前に、バルーン(小さい風船)で血管の狭窄部位を拡げる。圧縮空気の気圧が数気圧から徐々に高められて、ついには二十気圧まで行きました。

「ダンプカーのタイヤだってせいぜい十気圧程度しか入れないのに、血管が破裂してしまうのではないか」と恐ろしくなりました。

    手術後、「バルーンが破裂する可能性はなかったんですか」と医者に聞きました。そしたら「ある」と(笑)。ただし、もし破裂して大出血しても、すぐ開胸手術に切り替えるから、大丈夫だという話でした。

    このときの恐怖にくらべれば、がんなんてちっとも恐ろしくないと思うようになったのも事実です。

    怖いといえば、心臓のほうがずっと怖いのです。心筋梗塞の発作が起きる事態にそなえて、いつもニトログリセリンの錠剤を持ち歩いているのですが、もし発作が起きたら、激痛が来るらしいし、ニトロを飲めば必ず助かるというものでもない。膀胱がんの再発よりも、こちらのほうがずっと怖いわけです。

    しかし、人間たいていのことにすぐ慣れてしまうし、慣れてしまえば、たいていのことが怖くなくなります。僕はいろんな成人病があるので、毎日様々の薬剤を服用していますが、根が楽観的な気性なので、がんも心臓も、その他モロモロも日常的にはほとんど気にしていません。まあ、死ぬときは死ぬさ、と思っている程度なのです。

    そんな「死」が怖くなくなってきた二〇一五年、七十五歳のときに出した本が『死はこわくない』(文藝春秋)です。この本は、その前の数年の間に、さまざまの角度から、人の死について論じた文章を集めたものでもあるのですが、本体部分は七十五歳のときに書いたものです。

    僕の両親は九十五歳まで生きていて、人間の寿命を専門とする学者によれば、その人の寿命にいちばん関係を持つファクターは両親の生きた年齢ということだそうです。僕はもう少し生きのびるらしいが、僕自身としては、もうそれほど生きのびるための努力をしようとは思っていません。自然に死ねる日がくれば、死ぬまでと思っています。


■日本人の死生観

    僕は長い間、人の死とは何かというテーマを追いかけてきました。一九八〇年代後半から九〇年代前半にかけて取り組んだ、脳死問題に関する一連の言論活動でも、死の定義について徹底的に考え抜きました。

    当時、死の定義を拡大して、脳死者からの臓器移植を普及させようとする立場に対して、僕は異議を申し立てたり、記事を書いたりしていました。その頃、移植医療を推進したい側の人たちの集会に呼ばれて議論したことがあります。そのとき、彼らのリーダーから突然、「あなたの死生観はどうなってるんですか」と聞かれたのです。それは僕がまったく予期していなかった質問で、虚をつかれて口をつぐんでしまった。後になって、「あなたの死生観はどうなんだ」というのは、正しい問いの立て方だと思い返しました。結局、その問いにきちんとした答えを持っていないと、あらゆる問題に対して答えようがないのです。

 自殺、安楽死脳死など、生と死に関する問題は一つの問題群として捉えるべきで、それはその人の死生観と切り分けられない問題なのです。どの問題を考えるにしても、結局、自己決定権がある場合は、その人の自己決定に従うしかないだろうし、神あるいは運命に決定権があるような場合には、それに従うしかないだろうと思います。

    人の死生観に大きな影響を与えるのは宗教です。僕の両親はキリスト教徒だったので、一般の日本人の習俗を知らずに育ちました。家には仏壇も神棚もなく、むしろ両親はそういう日本の伝統的な習俗に反対していました。

「死後の世界は存在する」という見方は、日本人一般にとっては馴染みやすいところがあります。お盆になると死者が帰ってきて、仏壇のロウソクの炎をゆらすと教えられて育ってきた人にとっては、この世とあの世がつながっているという考えは自然に受け入れられるものでしょう。日本人の心の世界は、広い意味で、死者の世界との交わりを含めて成立しているように思います。

    どの宗教的なグループに属するかによって、死生観は異なります。日本人の場合は、自分がはっきりと仏教徒であるとか、神道の氏子であるとかと認識している人は少なくて、ぼんやりとどこかのグループに属している状態ですよね。

    仏教でも神道でも、宗派によって死生観はかなり違いがあります。僕は二度目に結婚した人の家の宗教が神道で、葬式が神道で行われるのを経験しているんですが、仏教のゴテゴテとした感じがなくて、自然宗教的スッキリ感にすごく好感を持ちました。キリスト教はほかの宗教をすべて邪教と考える独善性がいやで、大学時代に離れました。いまは哲学的&科学的世界観にもとづく無宗教派といったところでしょうか。

    死後の世界が存在するかどうかというのは、僕にとっては解決済みの議論です。死後の世界が存在するかどうかは、個々人の情念の世界の問題であって、論理的に考えて正しい答えを出そうとするような世界の問題ではありません。

    前にもヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の言葉を紹介しましたね。「語りえないものの前では沈黙しなければならない」。

 死後の世界はまさに語り得ぬものです。それは語りたい対象であるのは確かですが、沈黙しなければなりません。

 


樹木葬あたりがいいかな

 

 二〇一四年のことになりますが、NHKスペシャル立花隆思索ドキュメント臨死体験 死ぬとき心はどうなるのか」(九月十四日放送)で、僕は案内役をつとめました。

 視聴率は一一パーセントを獲得し、大きな反響がありました。

    インターネットでは賛否両論が書きこまれました。「考えさせられた」というコメントが大半を占めていますが、中には激しく番組批判を展開しているサイトもありました。臨死体験を死後の世界の存在証明であるかのように扱い、死後の世界との交流を売り物にしている新興宗教の人々には不愉快だったのでしょう。

    僕は臨死体験に関しては、かなりの時間を割いて仕事にしてきました。まず、NHKと作った「臨死体験 人は死ぬ時何を見るのか」(一九九一年放送、視聴率一六・四パーセント)、そしてその後に書いた『臨死体験(上・下)』(文春文庫)です。二〇一四年に放送された二度目の番組は、前回以上に、臨死体験が起こる仕組みの解明に鋭く迫りました。それが可能になったのは、二十三年前よりも脳科学がはるかに進歩したからです。

    なにしろ二回目の番組は、脳科学の最新の知見を踏まえて、臨死体験は死後の世界体験ではなく、死の直後に衰弱した脳が見る「夢」に近い現象であることを科学的に明らかにしたものだったのです。

    意外だったのは、感謝の気持ちを僕に直接伝えてくれる人がかなりいたことです。高齢の女性が多かったのですが、路上で呼び止められて「ありがとうございました」とよく声をかけられました。それまで何本も大型番組を作ってきたのですが、あのときのように放送後に街で会う視聴者からお礼を言われた経験は記憶にないですね。

    おそらくそれは、番組のエンディングで僕が述べた「死ぬのが怖くなくなった」というメッセージに共感したのだろうと思います。テレビの怪しげな番組に出まくって、霊の世界がどうしたこうしたと語る江原啓之なる

現代の霊媒のごとき男がいますが、ああいう非理性的な怪しげな世界にのめりこまないと、「死ぬのが怖くない」世界に入れないのかというと、決してそうではありません。ごく自然に当たり前のことを当たり前に、理性的に考えるだけで、死ぬのは怖くなくなるということをあの番組で示せたと思っています。

    番組の最後に述べたのは、次のようなことでした。

「この取材を終えて、私が強く感じていることは、約二十年前の『臨死体験』という番組を作ったときにも感じたことですが、死ぬということがそれほど怖くなくなるということです。しかも、前よりも強くそう思います。

 ギリシャの哲学者にエピクロスという人がいるんですが、彼は人生の最大の目的とは、アタラクシア=心の平安を得ることだと言いました。人間の心の平安を乱す最大の要因は、自分の死についての想念です。しかし、今は心の平安を持って自分の死を考えられるようになりました。

    結局、死ぬというのは夢の世界に入っていくのに近い体験なのだから、いい夢を見ようという気持ちで人間は死んでいくことができるんじゃないか。そういう気持ちになりました」

    いい夢を見るために気をつけたいことが一つあります。いよいよ死ぬとなったとき、ベッドは温かすぎたり、寒すぎたりしないようにすることです。暑すぎたり寒すぎたりすると、臨死体験の内容がハッピーじゃないものになってしまうからです。死に際の床を、なるべく居心地良くしておくのが肝腎です。

    死んだ後については、葬式にも墓にもまったく関心がありません。どちらも無いならないで構いません。

    昔、伊藤栄樹と(しげき)いう、現役検事時代にダグラス・グラマン事件などよく知られた事件の数々を手がけた有名な検事総長が『人は死ねばゴミになる』という本を書きましたが、その通りだと思います。もっといいのは「コンポスト葬」です。遺体をほかの材料と混ぜ、発酵させるなどしてコンポスト(堆肥)にして畑に撒くのです。そうすれば、微生物に分解されるかして、自然の物質循環の大きな環の中に入っていきます。

    海に遺灰を撒く散骨もありますが、僕は泳げないから海より陸のほうがいい。コンポスト葬も法的に難点があるので、協点としては樹木葬(墓をつくらず遺骨を埋葬し樹木を墓標とする自然葬)あたりがいいかなと思っています。生命の大いなる環の中に入っていく感じがいいじゃないですか。

(p395)

 

 

覚えておきたい事柄がいろいろあって、長くなりました。

 

筆者が文藝春秋に入社した際薦められて読んだというノンフィクションは、これから探してみたいと思います。

 

・A・チェリー = ガラードの「世界最悪の旅」

・スウェン・ヘディン「さまよえる湖」

・トール・ハイエルダール「コン・ティキ号探検記」

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

菅原洋平『「寝たりない」がなくなる本』を読んで

 おはようございます、ゆまコロです。

 

菅原洋平『「寝たりない」がなくなる本』を読みました。

 

こんなタイトルの本を手に取るからには、さぞかし少ない睡眠時間で日々過ごしている人間なのかと思いきや、時間的には結構寝ています。なのに、結構いつでも眠いです。眠気を感じなければ、日中活動的に過ごせるだろうな、と思いつつ、読んでみました。

 

以下は、読みながら自己を振り返り、特に、ダメじゃん自分…と思った箇所です。

 

●休日の朝に遅く起きると、かえって疲れが抜けない。寝だめしたければ、起床時間は変えずに、就寝時間を早める「早寝」がいい。

 

 正しい寝だめの方法は、平日と同じ起床時間にいったん起きて、カーテンを開け、部屋を明るくして二度寝をすることです。カーテンが閉まったままの暗い部屋で寝だめをすると、体の疲れがとれなくなってしまいます。

  くわしくはあとでお話ししますが、私たちの生体リズムは、脳が朝の光を感知するとスタートします。


 たとえば、休みの日曜日にこんな経験はありませんか?

 昼まで眠っていて、翌日の月曜日の朝に備えて、夜、早めにベッドに入ったのに眠れなかった……。これは、脳が光をキャッチする時間が遅れたので、眠くなる時間も遅れたという現象です。

 生体リズムは、そのスタートが1時間ずれると、それを戻すのに1日かかります。ということは、平日と休日の起床時間の差が、1時間程度ならば問題ないのですが、休日に3時間寝坊をすると、その後3日間は体がだるい、頭が冴えないなど、疲れがとれなくなるということになります。

 月曜日から調子がイマイチ、木曜日頃からようやくエンジンがかかってきたと思ったら、今週の疲れがたまってきて、土曜日の朝にたっぷり寝だめ。これでは、"お疲れサイクル"から抜け出せなくなってしまいます。


  これを防ぐために、平日と同じ起床時間に、いったんカーテンを開けて、部屋を明るくしてから二度寝することが有効なのです。防犯上問題がなければ、夜、カーテンを少し開けて眠るのもおすすめです。

 二度寝をしていても、明るいところにいれば、脳に光は届きます。目覚めて窓際にいるよりは効果が低いのですが、まずは無理なく、生体リズムを整える行動をとることが大切です。

 また、理想的な寝だめは、起床時間を変えずに、少しでも早寝をすることです。

起きる時間を遅らせるのではなく、寝る時間を早めてストックするのです。

 

 ここで、ちょっと専門的になりますが、大事な話をしておきましょう。寝だめによって起きる時間がずれると、なぜ疲れがたまってしまうのか、ということです。

 私たちの睡眠には、その後半部分は、起きるための準備をする役割があります。

 普段の起床時間の3時間前から、起床物質である「コルチゾール」が分泌されていきます。コルチゾールという名前は聞き慣れないと思いますが、血圧や血糖値を上げて、体を起こしても脳に充分な血流を届ける役割をします。

 

 このコルチゾールの分泌は、時間によって決まるという性質があります。いつも6時に起床している人は、その3時間前の夜中の3時から分泌がはじまります。

 ですが、週末に9時まで眠っていたとします。すると、9時にピークになればいいので、翌日には、9時の3時間前の6時に分泌をスタートすればよい、というプログラムが組まれてしまいます。

 そして月曜日の朝。6時に目覚まし時計で目覚めると、コルチゾールがまった準備されていなかったところから、間に合わせるように急激に分泌されます。

 コルチゾールが過剰に分泌されている脳は、うつ病の状態と同じです。うつ症状の度合いを検査する指標として、コルチゾールの濃度を調べることがあるため、コルチゾールは、別名「ストレスホルモン」とも呼ばれています。

ブルーマンデー」という言葉を聞いたことがあると思います。

 月曜日の朝、憂うつな気分で会社に行きたくない。これは、会社が原因なのではなく、週末に起床時間を遅らせたことが原因だったのです。

 

 普段忙しくて睡眠不足になりがちなら、休日は、起床時間を平日とあまり変えずに就寝時間を早くする、というやり方の寝だめをする。なおかつ、二度寝をしたいときは、いったん明るいところに移動してから二度寝をする。

 この方法で、睡眠不足を確実に攻略しましょう。(p26)

 

 

ゆまコロは休みの日こそ遅起きしていました。コルチゾール過剰分泌させまくりです。

 

●「早寝早起き」ができずに自分を責めるより、寝る時間がバラバラでも、「起きる時間」をそろえるほうがいい。

 

 ビジネスパーソンに睡眠の記録をつけていただくと、よく見られる典型的なパターンがあります。それは、「寝る時間がそろっていて、起きる時間がバラバラ」というもの。

 たとえば、平日は午前0時までには眠るように心がけていて、週末は平日よりもゆっくり起きる、というパターンです。

 これは、人間にとって、最もよくない睡眠リズムをつくることになってしまっています。

 

 これを逆に、「起きる時間をそろえて、寝る時間はバラバラでもOK」というパターンに変えると、よく眠れて昼間の眠気がなくなり、生産性が上がります。

 もし平日が6時起床ならば、休日もできるだけ6時頃に起きるようにします。

 すると、その6時間後の夜の10時頃には自然に眠くなるという、いい睡眠のリズムがつくられます。そして、早く眠れる日は早く眠って、トータルの睡眠時間を増やすようにするのです。

 もちろん、用事があったり、やるべきことがあるときには夜遅くなりますが、眠気はしっかりつくられているので、眠ろうと思ってベッドに入れば、グッスリと眠ることができます。

 これが、現代人の理想的なパターンです。

就寝時間も起床時間もそろえるというのは、現実的にはかなり難しいことなので、「起床そろえて就寝バラバラ」というパターンを目指していきましょう。

 ですから、忙しい私たちにとって、いい睡眠リズムができる「規則正しい生活」とは、「起床時間をできるだけそろえて」というのが正解なのです。(p34)

 

 

休日もいつもと同じ時間に起きると考えただけで、さっそく挫折しそうな気がしていますが、世の皆さまはこんなこと可能なの…??二度寝のために明るい場所に移動しても、そこで昼まで寝ていそうな予感がします。

…なんとか頑張りたいと思います。

 

PMSになる人の特徴。

 

 働く女性に、月経前に、イライラしたり気分が落ち込むなどの月経前症候群(PMS)が非常に多くみられるようになってきました。

 実は「月経のリズム」は、「睡眠のリズム」と深く関係しています。そして、PMSになる人とならない人には、その生活スタイルで、はっきりとした違いがあります。

 それは、PMSにならない人は、月経後の1週間によく眠っているということです。

 

 月経の仕組みでは、排卵から月経までの期間を「黄体期」と呼び、この間は、基礎体温が高くなります。基礎体温が高いと、深部体温リズムは、夜から明け方にかけて体温が低下しにくくなります。

 すると、深い睡眠だけが阻害されて、翌日の日中に眠気が残ってしまいます。月経前に強い眠気に襲われることがあるのは、深部体温の低下が邪魔されることが原因です。ですが、月経後の「卵胞期」には、基礎体温はストンと下がります。

ここからは、深くグッスリと眠れるはずです。

 

 ここで、PMSになってしまう人特有の考え方が影響します。それは「月経前には調子が悪くほとんど何もできないので、調子がよくなってから、できるだけがんばって挽回する」というものです。

 部屋の片づけ等の家事や仕事の残業などをがんばり、よく眠れるはずの卵胞期に、睡眠を削ってしまうのです。

私たち人間の体には、調子がよいときほどしっかり鍛えると、調子が悪くなる度合いが軽くなるという仕組みがあります。

 悪くなってから対処しようと考えていると、なかなか調子はよくなりません。

 これは、睡眠でも同じです。よく眠れるときこそしっかり眠っておく。これによって、不調の度合いが軽くなるのです。

 よく眠れるはずの卵胞期に睡眠を削ってしまうと、それだけ眠る力は低下してしまいます。そして、次の黄体期を迎えると、日中の眠気やイライラが増してしまう。その罪悪感から、その後の卵胞期に、ますますがんばろうとする。

 この悪循環に、はまってしまうのです。

 まずは、よく眠れるときに、眠る力を鍛えるようにしましょう。

 そして、生理前後の体調をよくするポイントとして、月経後1週間の睡眠を充実させるということを実行してみてください。

 睡眠のリズムが整うと、月経のリズムも整っていくことも、医療現場ではよく見られます。

(p52)

 

 

考えてみるとPMSも毎月のように感じています。おっしゃる通り、生理が終わると元気になって張り切ってしまう悪循環でした。

 

●睡眠の力を生かすために。

 

 つい睡眠中は意識がないので、脳も休んでいると考えがちですが、そうではありません。睡眠中の脳は、とても忙しく働いています。

 昼間の出来事の記憶を整理したり、いらない記憶を消去して、今日よりも明日、もっと成長できるように準備をするという仕事があります。

 このような大事な仕事があるのに、ムダな部位を働かせる記憶をつくってしまって睡眠を妨げるのは、とてももったいないことです。

 

 睡眠の力を十分に活かすには、脳が、睡眠という作業を集中して行なえる環境をつくってあげなければならないのです。

 そこで、ベッドの上で眠りに関係ないことをするのを極力控えて、眠るときにだけベッドに入り、「ベッド=睡眠」という記憶をつくることが大切になってきます。

 そうすることで、ベッドに入ると、脳の働きが眠ることだけに集中するので、スムーズに眠りにつくことができるのです。

 

 もし長年、ベッドの上で読書をしながら眠くなるのを待つ習慣がある方は、本を読む習慣は変えなくても大丈夫です。

 ベッドの上でなければいいのです。そうすれば、寝る前に読書をしていても、脳に誤った記憶をつくらずにすみます。

 たとえば、ベッドの横にイスを置き、そこで読書をしてみましょう。

 そして、眠くなったら本を置いてベッドに入る。このようにすれば、「ベッド=睡眠」という記憶をつくることができます。

 同様に、スマートフォンでニュースをチェックしたりメールを返信する、ゲームをする、音楽を聴く……など、寝る前の習慣があったら、ベッドに寄りかかってしたり、リビングで行なったりしてみてください。

 とにかくベッドの上でなければどこでもOKです。場所をベッドの上と切り離すようにしてみましょう。

(p62)

 

 

まさに毎晩布団の中で本を読んでました。それを日々の楽しみとして。

ことごとく良くないことばかりしています。

 

●睡眠リズム=体内時計を正しく働かせるために。

 

 睡眠を整えるとは、「睡眠のリズム」を整えるということです。

そして、睡眠のリズムは、いわゆる"体内時計"の影響を受けるため、この体内時計が正しく働くようにしなければ、いい睡眠はとれません。

 そのためには、体内時計が刻むリズムの規則性をつくる「生体リズム」と呼ばれる、人間の体に本来そなわっている大本(おおもと)のリズムを整えなければならないのです。

 

 私たちの睡眠に関係する生体リズムは3つあります。「メラトニンリズム」「睡眠-覚醒リズム」「深部体温リズム」です。

 この3つのリズムを、普段生活しているだけで整えることができる法則を、「4-6-11の睡眠の法則」と呼んでいます。

 具体的には、次の3つです。

 

①朝――「起床後、4時間以内」に外の光を見る(「メラトニンリズム」を整える)

→目覚めたらできるだけ早いタイミングで、窓から1メートル以内に入るようにする。

 

②昼――「起床後、6時間たったら」仮眠タイム(「睡眠-覚醒リズム」を整える)

→「一分後に起きる」と3回唱えて、1分間、目を閉じるだけでOK!

 

③夕方、 「起床後、11時間たったら」プチ運動(「深部体温リズム」を整える)

→仕事中でも椅子に座ったまま背筋を伸ばし姿勢を良くして体温を上げ、眠る前の深部体温低下に備える。

 (p68)

 

 

3日程やってみましたが、昼、目を閉じるというのが結構忘れがちです。引き続き頑張ってみます。

 

 

●脳をシャキッと働かせるためのチェックポイント。

 

 今度、デスクワーク中に、自分の足元を見てみてください。足の裏がすべて床についていますか? 足の小指側だけや、つま先だけがついている姿勢になっていませんか?

 もし、足の裏全体がついていなければ、これが昼間の集中力と睡眠の質に影響します。

 

 脳が目覚めている度合いである覚醒度と、筋肉の活動とは、密接に関係しています。単純にいうと、体を支える抗重力筋(あご、お腹、ふくらはぎ、もも、お尻、背中などにあります)がしっかり働いているときには、脳がはっきり目覚めています。

 睡眠不足になると、これらの筋肉の活動が低下します。すると、立った姿勢で、あごが上がり、肩が胸よりも前に出て、下腹部が前に出て、足の小指側に体重がのる、いわゆる猫背姿勢になります。

 このような姿勢の人は、睡眠不足の人なのです。

 

 筋肉は、関節と関節をつないでいるだけでなく、隣りの筋肉とつながっていて、このことを筋連結といいます。

 口を閉じる役割のオトガイ舌骨筋は、筋連結でつま先までつながっています。この一連の筋肉の活動が低下すると、口が開くようになります。

 普段から口が開いていることはありませんか?

 口が開いている姿勢が続くと、呼吸は、鼻呼吸よりも口呼吸が優位になります。

 この呼吸グセが、難物です。

 睡眠中に口呼吸をすると、睡眠が浅くなり、日中の頭痛、疲労感、注意力低下の原因になります。

 集中力がなくて仕事がイマイチはかどらないと思ったら、その原因は、昼間の悪い姿勢→口呼吸→睡眠の質が悪化→疲労感が増す→昼間に悪い姿勢になる、という悪循環かもしれません。

 

 そこで、まずは、座った姿勢で、足の裏の全面を床につけてみましょう。自然に、口が閉じてあごが引かれるはずです。

 呼吸は、自然に口呼吸よりも鼻呼吸が優位になります。体にこの鼻呼吸を覚えさせて、睡眠中の鼻呼吸を確保すれば、睡眠の質が上がり、昼間の脳の活動が充実して仕事の質も上がります。

 何も難しいことはありません。ただ足の裏をつけるだけ。それだけで、こんないいサイクルに変わるのです。

(p120)

 

 

当然のように仕事中も食事中も、座っている時はほぼほぼ足の裏は床に着いていませんでした。気を付けます。

 

●睡眠によって記憶を定着させる方法。

 

 深い睡眠は、眠りはじめの3時間程度しか出現しません。ということは、効率よく記憶を定着させたい、と考えるならば、眠りはじめの3時間をより深く充実させることが重要になります。

 深い睡眠をつくるには、深部体温が急激に下がることが重要です。入浴から約1時間後に、急激に体温は下がります。

 この入浴からのー時間が「記憶のゴールデンタイム」なのです。

 脳は、見たり聞いたり触ったりしたことをすべて記憶します。そして、今、記憶しても、あとにほかのものを記憶すると、似ている内容を組み合わせたり、知っていることに置き換えるなどして、加工されます。

 私たちの脳は、自分に都合がいいように加工しながら記憶しているのです。

 ですから、自分が覚えたことを正確に記憶させたいと思ったら、できるだけムダに加工されずに、きれいな状態で保存するようにしましょう。

 そのためには、眠る直前に覚えることが有効です。脳は、眠る直前に覚えた記憶から、さかのぼってリプレーをしながら定着させていきます。

 

 入浴後の1時間で、自分が最も重要だと思っていることを学習してみましょう。

 そしてそのまま眠ります。深い睡眠によって、きれいに記憶が定着するのです。

 間違っても、学習後にご褒美として、ネットを見たりマンガを読んだりゲームをしないようにしてくださいね。これらのことをすると、ご褒美の行為のほうが記憶として定着してしまい、大事な記憶が残らなくなりますので。

 

(p132)

 

 

学習後にマンガを読んだり…、めっちゃめちゃしていました。もっと早く知りたかった…。

 

●元気と若さを作る、「成長ホルモン」を増やすには。

 

 グッスリ眠れた翌日は、疲れがとれただけでなく、何だか体が軽く感じる、肌の調子もいいなど、体も見た目もコンディションがよくなることを感じたことがあると思います。

 実はこれ、眠っている間に「成長ホルモン」が増えたことの表われなのです。

 

 私たちの体に大事な成長ホルモン。

「寝る子は育つ」とされる理由です。

 特に子どもにとっては、骨や筋肉の発達という点で重要ですが、大人にとっては、体内でエネルギーをつくる、つまり、代謝を促進するという点で非常に重要です。

 成長ホルモンが多いと、それだけエネルギーにあふれ、若々しくいられるのです。

 この成長ホルモンは、脳の中の下垂体から分泌されますが、その分泌量は、残念ながら、思春期にピークを迎え、通常は年齢とともに低下していきます。

 では、成長ホルモンを増やすことはできないのでしょうか?

 

 成長ホルモンが増える要因は、低血糖、絶食、たんぱく質の摂取、運動、発熱、そして睡眠です。

 反対に、成長ホルモンが減る要因は、心理的ストレス、ブドウ糖、起床物質・コルチゾールの分泌です。

 つまり、糖分を控えたり、睡眠が多くなると、元気と若さをつくる成長ホルモンが多くなるということです。

(p164)

 

 

疲れた時にブドウ糖の摂取、コルチゾールの分泌は積極的に行っていたな、と反省しました。

 

●鉄分不足が引き起こす睡眠の妨げ。

 

 眠ろうとすると、足を動かしたいような落ち着かない感じになる。足に虫がはったような感じがする。そして、「眠れない!」と思って立ち上がると治ってしまい、また眠ろうとするとムズムズしてくる……。

 これは、「むずむず脚症候群」(レストレスレッグス症候群)と呼ばれています。

 薬での治療が必要になるのですが、病院などに行く前に、試していただきたいことがあります。それは、鉄分の補給です。よく治療には、ドーパミン作動薬といって、ドーパミンの働きを促進させる薬が使われます。むずむず脚症候群が、ドーパミンの不足によって起こるという原因に対処しています。

 ここで、もう少し考えを深めてみると、ドーパミンが足りないならば、もっとつくられやすいようにサポートすればいいことになります。

 ちょっと専門的な話になりますが、ドーパミンのもとになっているのは、チロシンという物質。このチロシンドーパミンに変わる介在をする(手伝いをする)のが、鉄イオンです。鉄イオンがないと、ドーパミンが減ってしまうのです。

 そして、鉄は、体内でつくることができないので、食べ物やサプリメントで補わなければなりません。

ですから、むずむず脚症候群の人は、鉄の補給が必要なのです。反対に、鉄不足になると、むずむず脚症候群になりやすくなる、ともいえます。

 実は、このむずむず脚症候群を最も経験するのが、妊娠中の女性です。急激に鉄が失われる状態になると、なりやすいのです。また、男性でも、50歳を超えると経験することがあります。

 いずれにしても、普段から鉄不足にならないようにしておくことは、将来のむずむず脚症候群を予防することにもなる、と知っておきましょう。

(p212)

 

 

睡眠とは全く関係ないと思っていましたが、10年以上健康診断で貧血と診断され続けています。鉄剤を処方されることもあります。むずむず脚症候群の症状もありました。なんとなくやり過ごしていましたが、鉄不足だという体のサインだったんだなと思いました。

 

こうしてみると、いつも寝たりないのは、自業自得であるらしいことが分かりました。

正直できるかどうか怪しい部分もありますが、こんなにやっちゃダメなことがたくさん明らかになったので、出来るものだけでも取り入れたいと思います。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。