ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

渡辺健介『自分の答えのつくりかた』

おはようございます、ゆまコロです。

 

渡辺健介『自分の答えのつくりかた』を読みました。

 

子ども向けのストーリーのようですが、考え方、議論の仕方の基本がわかるようになっています。中高生の時に読みたかったなあと思いました。

 

「「君はどこかで、自分の意見を持つことと、過度に自己主張することを混同していないかい?自分の意見を述べることは、協調性を損なう行為だと思っていないかな?」

(中略)

「目指すべきは、教養と知識と幅広い視野に支えられた自立した考え、そして協調性を兼ね備えた姿だ。(中略)そこで必要となるのが、健全で前向きな、“批判的思考”だ。

 

 他人の意見を鵜呑みにしたり、自分の意見をむやみに信じ込んだりする前にすべきことがある。まず “理由” や “根拠” を正確に理解し、“本当にそうかな?” と問いかけ、その上でその意見が正しいか否か、賛成するか否かを考え抜き、判断することだ。」」

 

さらっと言われていますが、ニュースや他の誰かが話していることに対して、自分の意見をいつもこのように精査しているか?と言われると、自信がありません。

 

「自信が溜まるコップ」についての話も好きです。

 

「自信は、日々の生活の結果として、自然にそのコップに溜まっていく。

 

 でも、溜まるだけじゃなくて、蒸発もする。時には、自ら誤ってこぼしてしまうこともある。

 

 「自信が溜まるコップ」は非常に正直じゃ。そのままの状態を包み隠さず表す。コップに溜まっている量は、他人から丸見えじゃ。

 

 いくら自信があるように装っても、本能はありのままの姿をさらけ出す。本能はコップに溜まった自身の量を、0.001ミリグラム単位で知っているのだ。

 

 コップに自信が溜まっていないと、差し迫った時、本能がむき出しになって、防衛本能が働いたり、緊張して体がガチガチに固まって力を発揮できなくなったり、自分を大きく見せようとしたりする。

 

 自信というのは、ごまかしの効かないものなのじゃ。」」

 

確かに、自信があるかないかは、他人から見るとよく分かる、というのは、どんなことかよく分かる気がしました。

 

面白かったです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

自分の答えのつくりかた―INDEPENDENT MIND

自分の答えのつくりかた―INDEPENDENT MIND

 

 

 

 

枡野俊明『禅が教えてくれる美しい人をつくる「所作」の基本』

おはようございます、ゆまコロです。

 

枡野俊明『禅が教えてくれる美しい人をつくる「所作」の基本』を読みました。

枡野俊明さんは曹洞宗の僧侶で、作庭家です。

 

きれいに見える姿勢や、食べる行為も修行として考える禅の食事作法など、なるほど、と思う事柄も多かったですが、私が気になったのは、道元禅師という方の言葉です。

 

「「愛語(あいご)は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子(しゅうじ)とせり。愛語よく廻天の力あることを、学すべきなり」道元禅師『正法眼蔵

 

…慈しみの心から発する言葉は、天地宇宙をひっくり返す力があるという意味。

たとえば、母が幼子に向ける言葉など。

自分自身の利や得など全く思うことなく、欲からも遠く離れ、拙くても素っ気なくともひたすらに我が子を思う気持ちから出る言葉のことをいう。

 

→いいたいことを、思いついたまま語るのではなく、その言葉を相手がどう受け取るのかということにまず思いを巡らせる。一旦相手の立場に立ちなさいという意味。」

 

もうひとつ印象的だったのは、

「即今(そっこん)・当処(とうしょ)・自己(じこ)」という禅の言葉です。

 

「「即今(そっこん)・当処(とうしょ)・自己(じこ)」とは、

今やらなければ、いつやるときがくる、今しかない

ここでやらなければ、どこでやる、ここしかない

自分がやらなければ、誰がやる、自分しかいない

 

→過去のことは悔やまない。将来のことを不安に思わない。今、自分が置かれている場所、状況の中で、やるべきことを、自分自身で一生懸命にやる。それが生きていることだ、という禅語。」

 

他にも、「頭が冴え、肌が美しくなる禅の食事」なども、食事でこんな効果を得られたらいいなあと思ったのですが、

--------------------------------------------------------------------------------------------------

◆頭が冴え、肌が美しくなる禅の食事◆

 

朝:応量器(禅宗の修行僧が使用する個人の食器のこと)中、一番大きい器におかゆ(修行始めは飯粒のない薄い上澄み)とゴマ塩(1対1)とお新香。

昼:麦ごはん、香菜(お新香)、味噌汁(以上で「点心」という)

夜:昼の点心+別菜(大根を似たものか、二つ割りにしたがんもどき)

 

----------------------------------------------------------------------------------------------------

私には難しそうです。

 

立っているのも座っているのも、歩く時も修行なのがすごいなあと思いました。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

 

 

 

イサク・ディネセン『アフリカの日々』

おはようございます、ゆまコロです。

 

イサク・ディネセン『アフリカの日々』を読みました。

 

イサク・ディネセンはデンマークの作家です。

以前、デンマークのガイドブックで記念館の紹介を見たときは「カレン・ブリクセン」というお名前だったような気がしたので、あれ?っと思ったのですが、デンマーク語と英語で執筆されていたことが関係しているようでした。

 

デンマーク語では本名のカレン・ブリクセン

・英語ではペンネームのイサク・ディネセン

を使い分けているとのこと。

 

作者は1914年にケニアに移住し、夫婦でコーヒー農園を経営します。

 

物語は彼女の日記のように、日々、いろんな人との出会いがあり、様々なことが起こります。

私が好きなのは、彼女の家にあるドイツ製のカッコウ時計についてのエピソードです。

 

「山羊の群れを芝生に残して、子供たちは音もなく、裸足で家に入ってくる。年かさの子で十歳、最年少は二歳までだが、たいへん行儀がよく、この家を訪問するについて自分らなりのとりきめをつくり、それを守っている。その作法とは、家のなかではなにもさわらず、腰をおろさず、家の人から話しかけられないかぎり口をきかないこと、というもので、これを守っていれば、家じゅうどこでも好きなだけ動きまわってもとがめられないことを子供たちは知っていた。カッコウが飛びだした瞬間、大きな感動とおさえたよろこびの笑いが子供たちの群れを揺りうごかす。山羊の群れに責任感をもてないほどにまだ幼い牧童が、朝早く、群れを放ったまま一人でやってきて、時計の前に長いあいだ立っていることがときどきあった。扉をとじて鳴こうとしないカッコウに向かって、キクユ語でゆっくりと歌うように「おまえが好きなんだよ」とくりかえし呼びかけ、やがてまじめな顔で立ちさってゆく。ハウスボーイたちはこういう小さな牧童たちを笑いものにして、あの子らは馬鹿だから、カッコウが生きていると思ってるんだと私に言った。」

 

この他、ディネセンの、南国で感じた喜びと苦労がうかがえるところも好きです。

 

「雨期のくる前の週、丘陵はおなじような態度を見せる。夕方眺めていると、突然大きな変化がおこり、丘陵は覆いをはずす。かたちも色もくっきりとあきらかになり、丘陵がもつすべてのものを差し出して身をまかそうとするかに見え、いま坐っているその場から一歩ふみだせば、すぐに緑の斜面を歩けるかと思わせる。もしいま鹿が丘陵の草地にいれば、こちらをふりむいたとたん、鹿の眼がはっきりと見え、耳を動かす様子まで見えるにちがいないし、藪の小枝に小鳥が一羽とまっていれば、その歌う声がきこえるにちがいないという気がする。丘陵がこうした身をまかすそぶりを見せる三月、それは雨期が近いことのしらせである。だが、いまの私にとって、それは別れの挨拶だった。

 

 これまでにもほかの国々で、そこを去る直前、風景がおなじように自分に与えてくれるのを見たことはあったが、その現象のもつ意味を私は忘れていた。ただ、この国がこんなにも美しく見えたことはないと思い、この風景をあとから思い出すだけで、一生しあわせでいられるほどだと思っただけだった。光と影が風景を分かちあい、空には虹がかかっていた。」

 

今度デンマークに行くことがあったら、彼女の記念館を訪れてみたいです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

アフリカの日々/やし酒飲み (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-8)

アフリカの日々/やし酒飲み (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-8)

 

 

村上龍『自殺よりはSEX』

おはようございます、ゆまコロです。

 

村上龍『自殺よりはSEX』を読みました。

 

”情欲とロマンが溶け合った、ベストのセックスをした後、女の髪をなでながら、戦争をしたいとは思わないだろう。”という率直な気持ちから派生する、村上龍さんのエッセイです。

直球ですね。

 

私が好きなのはこの2か所です。

 

●自分のトラウマを他人に見せるな

「体力のない連中は、自分の「傷」を大切にするようになる。というか、それしか重要なものがなくなるのだ。

 

 自分の受けた傷を、愛おしむようになる。

 なぜならば、物理的な他人に見せられるものがそれしかないからだ。

 五体満足に生きている限り、その「傷」そのものが本当は幻想にすぎない。

 だが、その傷(内面といってもいい。同じことで、結局は幻想だ)を大切にしなければ、他に大切にするものがない。」

 

●本当の恋愛ができる人間の資格

「そもそも、どうしてみんな恋愛をしたがるのだろう。きっと寂しいからだと思う。そして、寂しさが顔と雰囲気ににじみでている人は、もてない。残酷なようだが、もてる人というのは、寂しくない人生を送っている人なのだ。(中略)寂しい自分は、恥ずかしいことではない。生物学的に、わたしたちはみんな寂しい。

 

 人間という種は、まず十カ月間、母親の胎内にいてからこの世に生物として生まれ出てくる。胎内では完全に保護されているがそれについては他の生物も同じだ。つまり、胎内で「寂しい」と感じる生物はいない。(中略)

 なぜ、テレクラや援助交際は、誇れないのだろうか?

 そういうことをやっている他人を見て尊敬できる人はいない。できればそういうことをやらずに済む人になりたいとわたしたちは思う。テレクラで知り合った男とセックスをする女は軽蔑される。

 なぜか?

 それは、寂しさと共に生きる人間という生き物にとって、他者との出会いが非常に大切なもので、しかもそれは簡単ではないということを、わたしたちが本能として知っているからである。わたしたちのあらゆる努力は、よりすばらしい他者と出会う可能性を高めるためにある。それは道徳などではなく、種としての人間の本能的な欲望なのだ。他者を喜ばせたい、他者から好かれたい、他者を感動させたい、他者から尊敬して欲しい、それらはわたしたちの自然な欲求で、しかもそれを実現することは非常に難しい。なぜなら、他者にたとえばお世辞を言っても感動してもらえないからだ。」

 

少し前の本なので、若干例えが古いような気もしましたが、とても面白かったです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

自殺よりはSEX―村上龍の恋愛・女性論

自殺よりはSEX―村上龍の恋愛・女性論

 

 

ポール・オースター、デビッド・マッズケリ『シティ・オブ・グラス』

おはようございます、ゆまコロです。

 

ポール・オースター、デビッド・マッズケリ、森田由美子(訳)『シティ・オブ・グラス』を読みました。

 

同タイトルのポール・オースターの作品のグラフィックノベルVer.です。(漫画バージョンです。)以前、日本語訳されたものを読んだはずなのですが、結末は忘れていました。

 

良いことがありそうでワクワクする場面と、だんだん事態が悪くなっていく箇所は、漫画であっても「ああ、オースターの話だ」という感じが色濃く出ていて、小説ではなくてもそれほど違和感なく物語に入り込めました。

 

この話で好きなのは、依頼を受けてニューヨークの街を尾行して歩いているうちに、その軌道がアルファベットになっていることにクィンが気付くところと、途中でオースター自身が登場するところです。

(彼は実際の方が漫画よりも素敵な感じがします。写真でしか見たことはありませんが。彼の奥さんも漫画に出てきます。)

 

いちファンとしては、オースター作品の心躍る箇所を容易にたどれるので、「ムーン・パレス」とかも、この作品と同じようにグラフィックノベル化してくれるといいのになあと思います。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

シティ・オブ・グラス (Graphic fiction)

シティ・オブ・グラス (Graphic fiction)

 

 

保阪正康『あの戦争は何だったのか 大人のための歴史教科書』

おはようございます、ゆまコロです。

 

保阪正康『あの戦争は何だったのか 大人のための歴史教科書』を読みました。

 

この本では、昭和6年から昭和46年ころまでの日本の歴史について書かれています。

満州事変や二・二六事件など、言葉としては知っていても、一連の流れとして全然頭に入っていなかったことがよく分かりました。

 

シベリア抑留についても、ざっくりとしか分かっていませんでした。

 

●シベリア抑留

「S20.8.9「日ソ中立条約」を一方的に破り、満州に侵攻してきたソ連の南下を防ぐため送られた兵力や満州にいた民間人が、関東軍司令部が撤退した後、取り残されて発生。スターリンは「領土(北海道)の代わりに、関東軍の兵を労働力としてもらう」ことを決め、多くの日本兵が(長くて)13年程強制労働とスターリン主義への洗脳教育を強制させられた。

→世界的には日本の敗戦日は、日本が降伏文書に署名した9月2日となっている。」

 

祖父母が生まれたころから戦後まで、こんな時代だったのかと思うと、今の生活が有難く感じられます。

アッツ島血戦勇士顕彰国民歌」の歌詞など、辛い箇所も多かったですが、読んでよかったです。高校では何となく世界史を選択しましたが、自分の国のほんの何十年か前のこともよく知らないのだということが身に沁み、日本史を取ればよかったなあと思いました。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

あの戦争は何だったのか: 大人のための歴史教科書 (新潮新書)

あの戦争は何だったのか: 大人のための歴史教科書 (新潮新書)

 

 

福田健『「話し方」の品格 「品のいい人」になれる10か条』

おはようございます、ゆまコロです。

 

福田健『「話し方」の品格 「品のいい人」になれる10か条』を読みました。

 

つい感情的になって汚い言葉を使った時など、品がないなあと思って自己嫌悪に陥るときがあります。

 

自分の事を言われているようでドキッとしたのはこちらです。

 

●仕事のできる人は多忙を装わない

「忙しいのは、有能な証明どころか、その逆である。

 

 第一に、仕事を抱え込むタイプで、周りの人に任せることができない。

 

 第二に、なんでも自分でやらなければ気がすまないくせに、計画性がなく、間際になって、それこそ「バタバタ」する。

 

 第三に、あちこちに顔を出したがる傾向があり、脇から口を挟むお節介屋でもある。自分の仕事にじっくり落ち着いて取り組むことができない。(中略)忙しくても多忙を言いふらさない節度を持ちたいものだ。忙しがるのは品のない姿だからである。」

 

●話したがっている人の気配を読みとる

「「話したいことがあったら遠慮なく言ってね」「オレ、話を聞くの好きだから、なんでも話してくれよ」

 

 それなら話を聞いてもらおうと近寄ると、やたら忙しそうだったり、

「うん、何?実はね、いまね、私、こんなことを考えててね」

自分で喋り出したりして、意外に聞いてくれない。いわゆる「口ばっかり」。話し手は失望して、話に行かなくなる。わざわざ、「なんでも聞くから」と言う人に、聞き上手は少ない。調子がよく、自分が話したいだけの人が多い。」

 

品のよい人になる道は険しそうです。

会話に自信がない私には、耳の痛いもありましたが、「相槌の上手な打ち方」など、苦手な人と付き合う時のヒントになりそうな内容もありました。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

「話し方」の品格―「品のいい人」になれる10か条 (リュウ・ブックス アステ新書)

「話し方」の品格―「品のいい人」になれる10か条 (リュウ・ブックス アステ新書)